名古屋で手羽先 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 11月 12, 2013 今日、明日と名古屋に出張です。仕事の合間に、清洲城を見学して、晩御飯は、念願の「世界の山ちゃん」で手羽先を頂きました宿泊は、アパヴィラホテルです アパヴィラホテル<名古屋丸の内駅前>(アパホテルズ&リゾーツ)posted with トマレバ愛知県名古屋市中区丸の内2-17-28[地図]楽天トラベルじゃらんJTB Yahoo!トラベルよく利用させて頂くダイワロイネットに比べると、部屋が狭いですが大浴場・露天風呂・サウナがあるのは、なかなか良かったですで、おやつは、アイスにジュースに、お菓子が1つです リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
TOP PAGE 9月 06, 2020 四国八十八ヶ所霊場 巡礼の方法について 四国八十八霊場 巡礼 歩き遍路の記録 1番 霊山寺から6番 安楽寺 (7番以降は各ページにリンクがあるので、そこからどうぞ) 自転車遍路の記録 自転車遍路 まとめ 四国一周サイクリング 2nd (遍路とは関係無く自転車で四国一周) 役立ちリンク集 役立ちリンク集 霊場一覧 霊山寺 1番札所 霊山寺[りょうぜんじ] 1番 奥の院 、 新四国曼荼羅1番 東林院 極楽寺 2番札所 極楽寺[ごくらくじ] 金泉寺 3番札所 金泉寺[こんせんじ] 3番 奥の院 愛染院 大日寺 4番札所 大日寺[だいにちじ] 地蔵寺 5番札所 地蔵寺[じぞうじ] 5番 奥の院 五百羅漢 安楽寺 6番札所 安楽寺[あんらくじ] 十楽寺 7番札所 十楽寺[じゅうらくじ] 熊谷寺 8番札所 熊谷寺[くまだにじ] 法輪寺 9番札所 法輪寺[ほうりんじ] 切幡寺 10番札所 切幡寺[きりはたじ] 10番 奥の院 八祖大師 藤井寺 11番札所 藤井寺[ふじいでら] 11番 奥の院 焼山寺 12番札所 焼山寺[しょうざんじ] 12番 奥の院 蔵王大権現 番外霊場 杖杉庵 大日寺 13番札所 大日寺[だいにちじ] 13番 奥の院 建治寺 常楽寺 14番札所 常楽寺[じょうらくじ] 14番 奥の院 慈眼寺 国分寺 15番札所 国分寺[こくぶんじ] 観音寺 16番札所 観音寺[かんおんじ] 井戸寺 17番札所 井戸寺[いどじ] 恩山寺 18番札所 恩山寺[おんざんじ] 18番 奥の院 金磯弁財天(かないそべんざいてん) 立江寺 19番札所 立江寺[たつえじ] 19番 奥の院 清水寺 19番 奥の院 星の岩屋(星谷寺) 鶴林寺 20番札所 鶴林寺[かくりんじ] 別格3番札所 慈眼寺[じげんじ] ... 続きを読む
1番札所 霊山寺[りょうぜんじ] 12月 18, 2016 竺和山 一乗院 霊山寺 四国八十八霊場 1番 霊山寺 本尊:釈迦如来 本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく ご詠歌:霊山の 釈迦の御前に めぐりきて よろずの罪も 消えうせにけり ←88番 大窪寺 →2番 極楽寺 寺伝によれば奈良時代、天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇の勅願により、行基によって開創されたという。 弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がここを訪れ21日間(三七日)留まって修行したという。その際、天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が仏法を説いている姿に似た様子を感得し天竺の霊山である霊鷲山を日本、すなわち和の国に移すとの意味から竺和山霊山寺と名付け持仏の釈迦如来を納め霊場開創祈願をしたという。その白鳳時代の身丈三寸の釈迦誕生仏が残っている。また、本堂の奥殿に鎮座する秘仏の釈迦如来は空海作の伝承を有し、左手に玉を持った坐像であり、2014年に4か月間開帳された。 室町時代には三好氏の庇護を受けており、七堂伽藍の並ぶ大寺院として阿波三大坊の一つであったが、天正年間(1573年 - 1593年)に長宗我部元親の兵火に焼かれた。その後徳島藩主蜂須賀光隆によって再興されたが明治24年(1891年)の出火でまた多くの建物を失った。本堂と多宝塔以外は近年の再建である。 【2016年 逆打ち 車遍路】 義父の供養の為に廻り始めた88ヵ所 逆打ち、この霊山寺で結願。 延べ12日間、長かったような、短かったような とりあえず、丙申年に廻り終えることが出来た 駐車場に車を停めて、売店の横を通って、境内に向かうと「発心」と書かれた鳥居?がある。 (コレって、鳥居よね?) 境内に向かうと左に山門、右に大師堂、本堂がある。 まずは、山門で一礼して本堂へ 山門には、遍路姿のマネキンが・・・ 霊山寺は、これから廻り始める人、逆打ちを終える人で、いっぱい。 お寺も、豪華 本堂も大きく、中は広く、煌びやか 本堂 本堂の中 大師堂の前は、お遍路さんがいっぱい。 納経所は、本堂の中と境内の外の売店の中の2ヵ所あった。 本堂の中の納経所は、靴を脱がないといけなかったので、売店の方で、御朱印を頂いた。 今日は、初めて17時前に高速に乗って、帰路につくことも出来た。 【2017年10月8日 歩き遍路にて】 10ヶ月ぶりに、歩き遍路で再来。 曇り空のせいか、前回のような賑わ... 続きを読む
51番札所 石手寺[いしてじ] 11月 06, 2016 熊野山 虚空蔵院 石手寺 四国八十八霊場 51番 石手寺 本尊:薬師如来 本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか ご詠歌:西方を よそとは見まじ 安養の 寺に詣りて 受くる十楽 ←50番 繁多寺 →52番 太山寺 寺伝によれば、神亀5年(728年)に伊予国の太守、越智玉純(おちのたまずみ)が夢によってこの地を霊地と悟り熊野十二社権現を祀った。これは聖武天皇の勅願所となり、天平元年(729年)に行基が薬師如来を刻んで本尊として安置して開基したという。創建当時の寺名は安養寺、宗派は法相宗であったが、弘仁4年(813年)に空海(弘法大師)が訪れ、真言宗に改めたとされる。寛平4年(892年)河野氏に生まれた子どもが石を握っていという衛門三郎再来の伝説によって石手寺と改められた。 河野氏の庇護を受けて栄えた平安時代から室町時代に至る間が最盛期であり、七堂伽藍六十六坊を数える大寺院であった。永禄9年(1566年)に長宗我部元親による兵火をうけ建築物の大半を失っているが、本堂や仁王門、三重塔は焼失を免れている。 【2016年 逆打ち 車遍路】 毎年、初詣には来ているが、いつも裏のマントラ洞窟を通って境内に入って、あまり正面から入った事はなかった 「渡らずの橋」も、今日、初めて、「こんなんあったんや」と知った 渡らずの橋を過ぎたところには、衛門三郎像があった 渡らずの橋を境内側からみると、こんな感じ。 衛門三郎像の横を過ぎたところから参道が回廊形式になって、お土産屋さんが並んでいる 本堂 三重の塔 三重の塔の横にある袴腰造の鐘楼の鐘を見てみたかったが、見ることは出来なかった 帰りに参道入口付近で、「やきもち」を買った 松山に住んでいながら、初めて食べた 御朱印 今年は、閏年、逆打ちの年なので、衛門三郎再来の御朱印も頂いた 51番 奥之院 続きを読む
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