新四国曼荼羅 51番 龍澤寺

禹門山 龍澤寺

新四国曼荼羅霊場 51番

宗派:曹洞宗總持寺派
本尊:釈迦如来
住所:愛媛県西予市城川町魚成753

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桃山時代の建築様式の七堂伽藍を建っており、3700坪の広大な敷地を持つ、寺院は今も尚、広大な敷地を有している。

龍澤寺は曹洞宗総持寺派の古刹で、末寺56ヶ寺を統轄する、いわば曹洞宗の中本山の格式を有する寺であり、末寺の多くは南予に散在しているが、中には松山あるいは高知県にまで及んでいるものもある。
龍澤寺の創建せられたのは、今からおよそ600年前に当たる元享三年(紀元1323後醍醐天皇代)である。中尾坂城(北宇和郡広見町、旧三島村)城主、平采女正吉貞が発願者となり、徳翁禅師を招請して開山さられ、始めは龍天寺と号した。
この時の寺は古奈良谷(現在のお開山開拓地)にあり古書に”寺の構え三町四方”とあり、現在も当時の礎石と思われるものが、数町の範囲にわたって発見せられ昔の面影がうかがえる。
一説に龍天寺は、徳翁以前に於ては御在所上に在り天台宗であったと言い、現に古瓦を発見することがあると言う。 徳翁以後数世にして次第に荒廃しておよそ100年を経過した。

1433年に薩摩藩主島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名、鬼瓦に島津家の家紋「丸に十」が刻まれている。

境内の案内看板



偃月橋


橋上からの眺め

仁王門
宝永4年(1707年)当時25世彗禅万丈の時再建された。
仁王尊像作師は天保11年周防国仏師日野岩城義光が謹刻奉納す。




仁王門を抜けると上に山門が見える

山門
天保13年(1842年)4月16日落慶。
この山門の建築と彫刻のために当時の龍澤寺大工が京都と愛媛を往復し、約10年の歳月を要して建立されたとの記録が残っている。




鎮守堂

中雀門
山門と仏殿の中間に位置する



左手が衆寮
歴代の家紋付きの鴟尾も展示されている

右手が客寮

正面に水鉢と本堂

衆寮の前を通り本堂へ

本堂の戸は閉まっているので、開けて中に入る




客寮の前に御朱印が置かれていた



御朱印


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