30番札所 善楽寺[ぜんらくじ]
百々山 東明院 善楽寺
本尊:阿弥陀如来
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:人多く 立ち集まれる 一の宮 昔も今も 栄えぬるかな
寺伝によれば、大同5年(810年)空海(弘法大師)が高賀茂大明神(土佐国一宮で現在の土佐神社)の別当寺として、神宮寺とともに創建したといわれている。
応仁年間(1467 - 1469)に兵火で焼失したが、土佐藩2代藩主山内忠義の庇護を受けて栄えた。明治初期の神仏分離まで、納経は神宮寺(別当寺)で行っていたが塔頭寺院の善楽寺とともに廃寺となり、本尊の阿弥陀如来と弘法大師像が南国市にある29番札所国分寺に移された。両寺の廃寺により明治8年(1875年)に再興された安楽寺が30番札所となった。神宮寺は再興されず、善楽寺は昭和5年(1930年)に埼玉県与野町(現さいたま市中央区)にあった東明院をこの地に移転し、また国分寺に預けられていた弘法大師像を移して再興したが、30番札所の正統性について善楽寺と安楽寺の間で論争が起こり、しばらく30番札所が2箇所並立することになった。その後、善楽寺を「開創霊場」、安楽寺を「本尊奉安霊場」と称することになり、平成6年(1994年)1月1日、安楽寺を30番札所奥の院とすることで決着した。
【2016年 逆打ち 車遍路】
元々、土佐の一宮「土佐神社」の別当寺なので、土佐神社のすぐ隣にあります。
平成6年までは、30番札所は、善楽寺と安楽寺の2ヶ寺だったのか、1ヶ寺にまとまったとの事です。
駐車場には、大きな観音菩薩像がありました
本堂 |
大師堂 |
御朱印 |
【2018年3月11日 歩き遍路にて】
歩き遍路の場合も裏のほうから入る
梅見地蔵 |
元札所の土佐一宮 土佐神社
土佐神社の参道を通り門の方へ
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