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番外霊場 臼井御来迎[道安寺]

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弘法大師が老母の願いにより、臼の中に加持して五色の御光を影ぜられたという旧跡で、 透き通った水がいまも、こんこんと湧き出ている。 この湧き水の前で、一心に祈れば七色の輝きの中に諸仏の来迎(薬師如来・日光月光菩薩・十二神将・弘法大師)がおがめる。 また、かき混ぜると虹が現れるという言い伝えがある。 臼井御来迎は、道から少し下がった場所にあるため、見逃しそうな場所にある。 歩いていて、突然、現れた左へ曲がる矢印の道しるべ。 なんで、左?と思って、左下を見ると、こんな感じ 何かあるぞ 下に降りてみると、とても手入れされている感じの境内。 お堂の反対には通夜堂があり、一休み。 電気もきていて、コンセントもある。 近くの光明寺にある泊まれる場所やスーパーの案内が掲示。 今治方面から来ると少し手前にある道安寺で御朱印を頂けるとの情報があったので、事前によったものの、住職が外出中で頂く事ができなかった。

新四国曼荼羅 36番 栴檀寺

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世田山 栴檀寺 新四国曼荼羅霊場 36番 宗派:高野山真言宗 本尊:薬師如来 所在:愛媛県西条市楠乙454 ご詠歌:はるばると 登りて見れば 世田の山 瑠璃の光の 験(あらた)なりけり 通称:世田薬師 ←35番 実報寺 →37番 法華寺 伝承によれば、奈良時代の神亀元年(724年)に行基が四国を巡錫している折に、世田山上に薬師如来の姿を見つけ、栴檀の木にその姿を刻んだという。寺院の名称はこの伝承に由来する。 中世には世田山の山上に世田山城が築かれた。 世田山城の名は太平記巻二十二「世田山の合戦」に登場する。 南北朝時代の康永元年・興国3年(1342年)新田義貞の甥・大館氏明が城を守っていたが、北朝方の細川頼春に攻められ落城した。 また、室町時代に入っても細川氏と河野氏の戦いが世田山城を舞台に繰り広げられた。 昭和2年(1927年)山腹にあった大師堂と三宝荒神堂を山麓に移し本坊を構えた。 また、山腹の本堂を奥の院とした。 なお、本堂(奥の院)へは、本坊より1.5Km約25分の遊歩道が整備されている。 夏の土用の丑の日には江戸時代より「きうり加持」が行われている。 世田山は「えひめの自然100選」に選定されており、瀬戸内海国立公園の一部になっている。 今治方面から来ると現れた駐車所への入口。 御朱印

歩き遍路3日目【日帰り】 大西から59番 国分寺[愛媛]まで

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JR大西駅[9:00] ↓ 54番 延命寺[9:45] ↓ 55番 南光坊[11:00] ↓ 別宮 大山祇神社[11:15] ↓ 56番 泰山寺[12:30] ↓ 56番 奥の院 龍泉寺[12:50] ↓ 岩清水八幡宮[13:40] ↓ 57番 栄福寺[13:50] ↓ 58番 仙遊寺[15:00] ↓ 59番 国分寺[16:50] ↓ JR伊予桜井[17:30] 歩き遍路 3日目 YAMAP ← 北条~大西 →桜井~別格10番 西山興隆寺~別格9番 生木地蔵 移動距離:25.6km 累計移動:71.98km 前回、JR大西駅から戻ったので、今日は大西駅から再開。 歩き遍路の道しるべを見ながら進む。 ほんと助かる。 遍路地図で、よく分からないらなかった所にも、ちゃんと、道しるべがあるので、見逃さないように進む。 しばらく歩くと延命寺に到着。 四国八十八霊場 54番 延命寺 54番札所「延命寺」から55番札所「南光坊」へ向かおうと、延命寺の山門を出た後、遍路道を探すが、よく分からない。 しばらく、キョロキョロしていると、山門から境内に入った後、南光坊への遍路道を発見。 通ってみると、昨年、オデッセイで回った時、Google Mapsがナビしてくれた、とんでもなく狭い道。歩きながら、よくこんな狭い道をオデッセイで通ったもんだと、我ながら感心。 大きな通りに出た後は、見慣れた道を、しばらく歩いて、南光坊に到着。 四国八十八霊場 55番 南光坊 南光坊を参拝した後、隣の元札所「別宮 大山祇神社」を参拝。 新四国曼荼羅霊場 40番札所にもなっている 新四国曼荼羅霊場 40番 別宮 大山祇神社 その後、「高野山 今治別院」でも御朱印を頂こうと寄ったものの、自分で書く?的な感じだったので、諦めた。 だって、手本があるからといっても、上手く書けないでしょ。 ここから、56番札所「泰山寺」へ。  遍路道は、今まで通ったことのない道。 午前中は、風があまりなく、気持ちよく歩けていたのに、午後から風が強くなり、菅笠が煽られ、かなりストレスが溜まる。 イライラしながら、ようやく泰山寺に到着。 四国八十八霊場 56番 泰山寺 平日ということもあって参拝者はまばら。 天気も良く、しばらく境内のベンチに腰掛けて、のんびり。 泰山寺で納経した後、少し奥にある56番 奥の院「龍泉寺」へ。 本堂らし