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伊予十三仏 発願の寺 明星院

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高棚山 明星院 伊予十三佛 発願 本尊:救世観音菩薩 所在:松山市平井町460-1 一千三百年の昔、役行者、高棚山に修行の砌三所権現子守王子なりと告げられ、又弘法大師巡透錫の折当山に修行、「八千歳の恵む大悲を聞く説く衆生の声も高棚極楽」と詠じられ、代々河野家の尊崇篤く、安産祈願寺として、子安観音、と称せられる。 四百年前、現在の地に勸請し、城中家中の家内安全、安産祈願所として遠近の尊崇を享け十六代に至る。  

52番札所、伊予十三仏 3番 太山寺[たいさんじ]

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瀧雲山 護持院 太山寺 四国八十八霊場 52番 太山寺   伊予十三佛 3番 本尊:十一面観音菩薩 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか ご詠歌:太山に 登れば汗の 出でけれど 後の世思えば 何の苦もなし ←51番 石手寺 →53番 円明寺 太山寺の草創については、以下のような「一夜建立の御堂」伝説が伝えられている。飛鳥時代の用明2年(586年)、豊後国臼杵の真野の長者という者が難波に船で向かう途中、高浜の沖で大嵐に遭遇した。長者が平素から信仰する観音に念じると山頂から光が差し嵐が静まり無事着岸した。その光の差した頂上に行ってみると一寸八分の十一面観音を祀った小さな草堂(現在の奥の院)があった。長者は感謝し一宇建立の大願を起する。早速、豊後に引き返し工匠を集め木組みを整え、1日で高浜の港に着き夜を徹して、一夜にして建立したということである。 その後、天平11年(739年)聖武天皇の勅願により行基によって本尊の十一面観音が安置され、孝謙天皇(聖武天皇の娘)が天平勝宝元年(749年)に十一面観音を勅納し七堂伽藍を現在の地に整えたと伝えられている。なお、現本尊像(重要文化財)は平安時代後期の作である。また、本堂の奥中央の専用の厨子内に安置される十一面観音像(文化財指定なし)が孝謙天皇奉納像であると伝える。 現存の本堂(国宝)は三代目で嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって再建され、近世には松山城主加藤氏の庇護を受けて栄えた。 【2016年 逆打ち 車遍路】 自宅から近いので、よく来る太山寺。 途中の大きな駐車場にバスが駐まっていて、参拝者が、ゾロゾロ歩いていましたが、更に上にも駐車場があるのを知っているので、上まで車で登りました。 本堂 大師堂 本堂と大師堂で納経をして、納経所を探しても見当たらない。 近くにいた、お遍路さんに聞いてみると、下の方に降りたところにあると教えてくれました。 上の駐車場に車を駐めたまま、歩いて下りました。 結局、途中の大きな駐車場の横まで下ることになってしまいました。 こんなコトになるなら、車で降りてくれば、良かったと後悔。 【2018年2月3日 番外編】 厄除大師堂 鐘楼 鐘楼の中にある地獄極楽絵 聖徳太子堂 伊予を訪れた太子が、この寺と縁を結んだ。 法隆寺夢殿と同じ太子像を祀る。 伊予十三仏の御朱印 52番 奥之院

49番札所、伊予十三仏 2番 浄土寺[じょうどじ]

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西林山 三蔵院 浄土寺 四国八十八霊場 49番 浄土寺   伊予十三仏 2番 本尊:釈迦如来 本尊真言:のうまくさんまんだ ぼだなん ばく ご詠歌:十悪の 我身を棄てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ ←48番 西林寺 →50番 繁多寺 天平勝宝年間(749年-757年)に孝謙天皇の勅願を受けて恵明(えみょう)上人が開創、本尊として行基が刻んだ釈迦如来像を祀ったという。当初は法相宗であったが、空海(弘法大師)が伽藍を再興した際に真言宗に改宗した。 平安時代中期の天台宗の僧空也が天徳年間(957年-960年)にこの寺に滞在し布教に努めた。建久3年(1192年)に源頼朝が堂宇を修復するが、応永23年(1416年)には兵火で焼失。河野通宣によって文明14年(1482年)に再建された。現在の本堂はそのときのものである。慶安2年(1649年)には大規模な修繕が行われている。 なお、本堂に置かれた厨子に巡礼者が書いた墨書落書きがあり、その最古のものに大永5年(1525年)の年号が見られる。 【2016年 逆打ち 車遍路】 境内には、イン活で、来たことがありました。 その時に、お遍路さんが多くて、初めてココが88ヵ所の1つであることを知りました。 旧国道11号線から少し中に入った所にありますが、毎回、曲がる所を通り過ぎて、引き返します。 今回も、通り過ぎてしまいました。 駐車場は、狭く、大型車の場合、前後が収まりません。 今日は、チビも一緒だったので、オデッセイ。 はみ出していました。 仁王門 本堂 本堂と大師堂で納経をして、納経所で御朱印を頂きました。 【2017年8月13日 歩き遍路】 浄土寺も歩き遍路の場合、正面からアプローチする。 浄土寺は、なぜか参拝者が多かった。 境内全景。左が本堂。右が大師堂。 本堂 大師堂 奥の院への登山口 伊予十三佛の御朱印 49番 奥之院

48番札所、伊予十三仏 8番 西林寺[さいりんじ]

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清滝山 安養院 西林寺 四国八十八霊場 48番 西林寺   伊予十三佛 8番 本尊:十一面観音菩薩 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか ご詠歌:弥陀仏の 世界を訪ね 行きたくば 西の林の 寺に詣れよ ←47番 八坂寺 →49番 浄土寺 寺伝によれば、聖武天皇の勅願を受け、天平13年(741年)に行基が伊予国国司越智宿禰玉純と共に堂宇を建立、本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したという。大同2年(807年)に空海(弘法大師)が本寺に逗留し奥の院になっている杖の渕の清水を湧出させたといわれる。当初は現在地より北東の徳威の里にあったが空海により今の場所に移されたと云われている。 伊予の関所寺(別の寺が関所寺という説もあり)で、境内は周りより一段低い場所にあり、邪悪な者が踏み入れると無間地獄に落ちると考えられている。 17世紀末に火災で焼失したが、元禄13年(1700年)松平定直らによって一部再建、その後宝永4年(1707年)には本堂と鐘楼堂が、文化10年(1813年)に大師堂、天保14年(1843年)に仁王門が再建された。 【2016年 逆打ち 車遍路】 前をよく通ることはあっても遍路をするまでは訪れた事がなかった。 本堂 本堂と大師堂で納経をして、納経所で御朱印を頂いた。 弘法大師が、渇水に苦しむ村人のために、杖をついて、清水を湧かせたと言われる西林寺近くの『杖の淵』は、西林寺の奥の院。 48番 奥之院 杖之淵 【2017年8月13日 歩き遍路】 歩き遍路の場合、正面からアプローチする。 本堂 綺麗な休憩所があった トイレも綺麗 納経所の前にあった福授地蔵 伊予十三佛 第8番の御朱印

47番札所、伊予十三仏 10番 八坂寺[やさかじ]

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熊野山 妙見院 八坂寺 四国八十八霊場 47番 八坂寺   伊予十三佛 10番 本尊:阿弥陀如来 本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん ご詠歌:花を見て 歌読む人は 八坂寺 三仏じょうの 縁とこそ聞け ←46番 浄瑠璃寺 →48番 西林寺 寺伝によれば役行者によって開基され、大宝元年(701年)に、伊予の国司越智玉興が、文武天皇の勅願を受けて堂宇を建立したという。このとき8ヶ所の坂道を切り開いて創建したことから寺名になったといわれている。一時荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した空海(弘法大師)が再興したとされる。 本尊の阿弥陀如来は恵心僧都源信の作と伝えられる。 その後、紀州から熊野権現を勧進して十二社権現とともに祀り、修験道の根本道場として栄え、12坊、84の末寺を持ち多くの僧兵を抱える大寺となった。天正年間(1573年 - 1592年)には兵火によって焼失してからは寺域も縮小し、現在の境内となっている。 【2016年 逆打ち 車遍路】 46番札所 浄瑠璃寺から、車では、すぐ着く。 駐車場は広いが、遍路さんが、いっぱいで、少し待った。 駐車場から境内に入る事は出来るが、横から入る事になるので、山門のほうに降りて、境内に入った。  本堂と大師堂で納経した後、納経所で御朱印を頂く。 本堂と大師堂の間には閻魔堂があった。 駐車場は、一方通行で、入口とは別の方向に出る。 境内の上の方を通り、墓地のほうに行くが、高台にあるので、ここからの眺めは、綺麗。 【2017年8月13日 歩き遍路】 浄瑠璃寺からの道は、距離が短い割に、歩きと車では、かなり異なる 本堂 山門から入ってすぐ横に納経所はあり、歩き遍路道は、山門を出て、直ぐに左折。 伊予十三佛 第10番の御朱印