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新四国曼荼羅 50番 高昌寺

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護国山 高昌寺 新四国曼荼羅霊場 50番 宗派:曹洞宗 本尊:聖観音菩薩 住所:愛媛県喜多郡内子町城廻117 ←49番 伊予稲荷神社 →51番 龍澤寺 嘉吉元年(1441年)に防州の大功円忠が常久寺の地に浄久寺を創建した。天文二年(1535年)のとき、曽根高昌がその寺に帰依し寄進し、現在地に移転して堂塔伽藍を整備、彼の死後、護国山高昌寺に改称し隆盛を誇り末寺24ケ寺となった。 文化四年(1807年)、失火により諸堂は灰燼と化すも、本尊と開創の像と山門は難を逃れる。翌年直ちに再建に取り掛かる。その時、大洲藩主加藤泰興の寄進により復活を果たし現在にいたる。なおその再建の際、柳沢村の良質の楠木を賜り各所に使用したため、別名楠木寺と呼ばれる。 伽藍配置が本山永平寺に似ていることから、伊予のミニ永平寺とも称される。 山門 中雀門 仏殿 山門から下ったところにある「石像涅槃仏」 長さ20m、高さ2m、重さは約200tだとか 中国敦煌にある莫高窟の涅槃仏を基に彫像されたもので、石造の涅槃仏としては日本最大級のもの 御朱印

新四国曼荼羅 53番 善福寺(山田薬師)

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潮光山 善福寺 新四国曼荼羅霊場 53番 宗派:曹洞宗 本尊:薬師如来 住所:愛媛県西予市宇和町西山田1889 ←52番 永照寺 →54番 泰平寺 山田薬師(善福寺)は、日本三大薬師」の一つに数えられる。境内にある大岩は、1963年の大雨により落下し、大師堂を押しつぶしたが、堂内にあった大師像は奇跡的にも無事だったそうだ。  山門 本堂(奥)と大師堂(手前) 大岩 この大岩は昭和38年8月の大雨に大音響とともに山より落下し、五間三間の大師堂は岩の下に埋没 奇蹟にもお大師様は怪我一つなくはるかお堂の外にあり ときに山田薬師1,250年祭御開帖に当り、新に大師堂を建立奉安し今昔を偲び礼拝す 大師堂 御朱印

新四国曼荼羅 54番 泰平寺

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神田山 泰平寺 新四国曼荼羅霊場 54番 宗派:曹洞宗 本尊:釈迦牟尼仏 住所:愛媛県宇和島市神田川原8 ←53番 善福寺 →55番 鳳彩寺 今からちょうど400年前(慶長五年)宇和島城築城の際、名称藤堂高虎によって創建され、創建当初は城山下に小さい草庵であったがその後、現在の地に移転された。(移転年代は不明) 昭和二十六年には梵金「平和の鐘」が篤志家により寄進されたが、この鐘「平和の鐘」には世界23ヶ国の貨幣が鋳造されており、この梵鐘をモデルとして同篤志家がニューヨーク国連本部にも「平和の鐘」を寄進し、その「平和の鐘」は国連総会の開会には事務総長自らがこの「平和の鐘」をつき世界平和を祈りつつ総会が開催されている。 馬目木大師のすぐ近くにある泰平寺   御朱印

新四国曼荼羅 51番 龍澤寺

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禹門山  龍澤寺 新四国曼荼羅霊場 51番 宗派:曹洞宗總持寺派 本尊:釈迦如来 住所:愛媛県西予市城川町魚成753 ←50番 高昌寺 →52番 永照寺 桃山時代の建築様式の七堂伽藍を建っており、3700坪の広大な敷地を持つ、寺院は今も尚、広大な敷地を有している。 龍澤寺は曹洞宗総持寺派の古刹で、末寺56ヶ寺を統轄する、いわば曹洞宗の中本山の格式を有する寺であり、末寺の多くは南予に散在しているが、中には松山あるいは高知県にまで及んでいるものもある。 龍澤寺の創建せられたのは、今からおよそ600年前に当たる元享三年(紀元1323後醍醐天皇代)である。中尾坂城(北宇和郡広見町、旧三島村)城主、平采女正吉貞が発願者となり、徳翁禅師を招請して開山さられ、始めは龍天寺と号した。 この時の寺は古奈良谷(現在のお開山開拓地)にあり古書に”寺の構え三町四方”とあり、現在も当時の礎石と思われるものが、数町の範囲にわたって発見せられ昔の面影がうかがえる。 一説に龍天寺は、徳翁以前に於ては御在所上に在り天台宗であったと言い、現に古瓦を発見することがあると言う。 徳翁以後数世にして次第に荒廃しておよそ100年を経過した。 1433年に薩摩藩主島津元久の長男で、巡航した仲翁守邦禅師が中興し、現在の龍澤寺と改名、鬼瓦に島津家の家紋「丸に十」が刻まれている。 境内の案内看板 偃月橋 橋上からの眺め 仁王門 宝永4年(1707年)当時25世彗禅万丈の時再建された。 仁王尊像作師は天保11年周防国仏師日野岩城義光が謹刻奉納す。 仁王門を抜けると上に山門が見える 山門 天保13年(1842年)4月16日落慶。 この山門の建築と彫刻のために当時の龍澤寺大工が京都と愛媛を往復し、約10年の歳月を要して建立されたとの記録が残っている。 鎮守堂 中雀門 山門と仏殿の中間に位置する 左手が衆寮 歴代の家紋付きの鴟尾も展示されている 右手が客寮 正面に水鉢と本堂 衆寮の前を通り本堂へ 本堂の戸は閉まっているので、開けて中に入る 客寮の前に御朱印が置かれていた 御朱印