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新四国曼荼羅霊場 記念数珠

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2019年1月から始めた新四国曼荼羅霊場 巡礼 約1年9ヶ月で満願しました ラリー帳は、伊予13佛にもなっている香積寺で入手 ラリー帳には、20周年記念行事と書かれてました 既に30周年記念事業の徒歩練行が始まってましたが、結果的には問題なしでした 各霊場で100円で札番印を押してもらいます 全ての札番印が揃ったので、ラリー帳と200円分の切手を入れて、3番札所 不動院に郵送 (30周年のラリー帳は、360円切手、送付先は願勝寺との情報もありましたが、ラリー帳に記載のある内容に従います) 1週間後、68番 願勝寺から、記念数珠が届きました ラリー帳には、満願の日付と御朱印か押されて同封されてました

新四国曼荼羅 57番 観音寺

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無量山 観音寺 新四国曼荼羅霊場 第57番 宗派:真言宗智山派 本尊:聖観世音菩薩 ご詠歌: 補陀落や 岸に寄せ来る 白波の 返すがへすも 誓い頼まん 住所:高知県須崎市大間西町12-2 ←56番 石見寺 →58番 峰興寺 寺伝によれば、聖徳太子が四天王寺を建造するために百済より仏師や工匠を招聘した。敏達天皇15年(585年)、その帰途で須崎沖で台風に遭い須崎湾に漂着した。一同が観音像を刻み、この地に寺院を建立し海上交通の安全を祈願したことが当寺の始まりと伝えられている。 天武天皇13年(684年)10月14日に当地で大地震が起こり須崎湾が大陥没した。この地震により観音像は堂ヶ奈呂に流されたとされる。 その後、平安時代中期の延喜3年(903年)宮ノ中土居山へ移され、戦国時代の元亀3年(1572年)に竹ノ鼻、大正15年(1926年)に現在地へと移転した。 平安時代前期の弘仁10年(819年)頃、弘法大師がこの地をに巡錫した。少年が栗を持っていたので一つ所望したところ、持っていた栗を全て差し出した。大師は少年を誉め、その栗の木を祈念した。すると一年に三度実をつけるようになったという三度栗の伝説が残っている。 本堂は、階段を登って2階 三度栗の木 御朱印

新四国曼荼羅 58番 峰興寺(ほうこうじ)

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金峯山 峰興寺 新四国曼荼羅霊場 第58番 宗派:法相宗 本尊:文殊菩薩 ご詠歌:御嶽山 真如の月に 照らされて 佛の知恵は 峰興寺 住所:高知県高岡郡越知町越知甲1633  ←57番 観音寺 →59番 薬師寺 開基は徳川家康の異母弟、松平定行である。三河國から密上演浄禅師を迎えて開山したと云う。元は松山にあった。藩主の菩提寺として栄えていたが排仏毀釈で衰退、名跡を 惜しみ明治の中頃、官許を待て当所に移転再建したもので県内外の信仰は知恵の文殊であるが、加持祈祷の専門道場として名高く人々の心の支えと成っている。 旧六月二十四日(本年は七月廿五日火曜日)の文殊大祭は柴灯大護摩を勤修し越知町夏の夜祭りとして有名である。 山門 本堂 一言観音菩薩 御朱印

32番 奥の院、新四国曼荼羅 59番 薬師寺

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岩屋山 薬師寺 四国八十八ヶ所霊場 32番 奥の院 岩屋観音堂 新四国曼荼羅 59番 宗派:真言宗豊山派 本尊:薬師如来 ご詠歌:みな人の 病みぬる年の 薬師寺 瑠璃のくすり あたえめしませ 住所:高知県高知市介良丙1832 ←58番 峰興寺 →60番 閑慶院 平安時代末期、平治の乱で敗れ土佐国介良荘に流罪となっていた源希義が、同母兄頼朝の挙兵により平家より謀反の嫌疑をかけられ討たれた。希義の師であった琳猷上人は、その死を悼んで寺院を興し希義の念持仏を安置したといわれる。これが当寺院の始まりであると伝えられている。 岩屋観音堂 : 本堂の段を更に約20分ほど登った山頂近くにあり、このお堂は四国八十八箇所 第32二番札所 禅師峰寺 奥の院とされている。本尊は十一面観世音菩薩。 平地にあると思いこんで、近くになっても建物が見当たらず、しばらく付近をウロウロ 少し離れた場所から山を見ると上の方に続く階段と建物が見えて、納得 下の駐車場に車を停めて、長い階段を登る 登りきった所に、厄除修行大師像 本堂 新四国曼荼羅の御朱印

新四国曼荼羅 60番 閑慶院(かんけいいん)

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吉峰山  閑慶院 新四国曼荼羅霊場 第60番 宗派:曹洞宗 本尊:阿弥陀如来 ご詠歌:童謡の調べに和する鐘の音は 吉あり慶あり道ひらくてら 住所:高知県安芸市井ノ口乙2029 ←59番 薬師寺 →61番 定福寺 創建年代は明らかではないが、永録年間(1558~70)浄貞寺三世昌岩天久大和尚を勧請してご開山とした。 幕末維新後、大政官布告(明治初年)による廃仏没釈風潮の高まり に、県下寺院のほとんどが廃寺となり当寺も例外ではなかった。 時の住職泰心和尚が死守やがて檀徒岩崎家(三菱創業)の興隆を背景に大本山永平寺第六十―世環渓密雲禅師を復立開山に拝請し明治十六年三月大本山水平寺御直末寺院として再興のスタートをき った。 岩崎美和刀自(弥太郎・弥之助の母)の死(明治三十年三月) 弥太郎十七回忌にあたり追善供養のため、本堂・鐘楼堂・山門建立資金が寄進され明治三十四年に現在の堂宇ができあがった。 初代凡鐘の供出・終戦・農地解放等々幾多の困難を岩崎家はじめ檀信徒各位のご協力により克服凡鐘再鋳・堂宇修復を重ね現在にいたっている。 入口にあった樹齢600年の椋(むく)の木 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 86番 江音寺

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龍昇山 江音寺 新四国曼荼羅霊場 86番 山号: 宗派:曹洞宗 本尊:阿弥陀如来 ご詠歌:立ち寄れば 入江に響く波の音 共に歩まん み佛の道 住所:徳島県海部郡海陽町浅川宮川ヨリ西169-1 ←85番 満徳寺 →87番 正光寺 1523年(大永3年)に創建。かつては海陽町加島に江月庵と称していた。寛永年間(1624年-1644年)に現在の場所に移し、江音寺と改めた。古くから地蔵尊のお寺として信仰を集めている 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 85番 満徳寺

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摩尼山 満徳寺 新四国曼荼羅霊場 第85番 宗派:高野山真言宗 本尊:虚空蔵菩薩 ご詠歌:あわす手に ゆたかなうしお たたえる 心ぞなごむ 満徳の寺 住所:徳島県海部郡牟岐町牟岐浦浜崎1 ←84番 弘法寺 →86番 江音寺 伝承によれば奈良時代に行基が創建したという。はじめは万鶴山願成寺と称したが、1427年(応永10年)に増吽僧正が中興し満徳寺と改めた。境内には童謡詩人の野口雨情の「牟岐みなと節」の歌碑がある。 本堂 草鞋大師 御朱印

新四国曼荼羅 84番 弘法寺

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小池山 弘法寺 新四国曼荼羅霊場 第84番 宗派:真言宗大覚寺派 本尊:弘法大師 ご詠歌:ありがたや 小池の山に 法の声 太師はいまも おわしますなる 住所:徳島県海部郡美波町奥河内本村70 ←83番 神宮寺 →85番 満徳寺 空海が創建したと伝わるが明らかではない。正保年中(1645年-1648年)に宥賢法印が開山した。江戸時代末期に験効をあらわした当地出身の栄寿法印ゆかりの寺で、「法印さん」の名で親しまれている 法印堂 本堂は階段を登った2階 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 83番 神宮寺

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大轟山 神宮寺 新四国曼荼羅霊場 第83番 宗派:高野山真言宗 本尊:釈迦如来 ご詠歌:法の風 ときわに吹けり 神宮寺 ねがいしことの かなううれしさ 住所:徳島県阿南市新野町宮ノ北34-1 ←82番 長谷寺 →84番 弘法寺 かつては西側に鎮座する轟神社の別当寺で、創建は轟神社と同じ814年(弘仁5年)と伝わる。 境内にある弁財天は新野弁財天と呼ばれ、かつて淡路より勧請したものである 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 87番 正光寺

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向栄山 正光寺 新四国曼荼羅霊場 第87番 四国三十六不動霊場 第14番 住所:高野山真言宗 本尊:地蔵菩薩 ご詠歌:ありがたや 華のみ寺を 訪ずねれば 大師の誓い 永遠にかわらじ 住所:徳島県那賀郡那賀町平野妙見前37 ←86番 江音寺 →88番 黒滝寺 正中元年(1324年)の開創と伝えられる。観音堂には仁宇村柏木家の守り本尊を安置。元禄7年(1694年)に再興、落慶法要が行われた。廃寺になった蓮光寺の地蔵菩薩を合祀し、山門の棟札には宝永3年(1617年)の銘があり、観音堂は元禄10年(1697年)建築で徳島県南最古の木造建築といわれる。また、小堀遠州門弟作と伝えられる庭園、那賀町指定の天然記念物の観音杉(樹齢400年)などがある。 不動尊の縁起には空海が阿波の太竜降伏、悪魔退散のために不動尊を祀って往来の安全を祈願したという。 本堂 観音堂 不動堂 御朱印