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45番 奥の院 逼割(せりわり)行場

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逼割(せりわり)行場 四国八十八ヶ所霊場 45番 奥の院  本尊:白山妙理大菩薩 45番 岩屋寺の納経所で、『奥の院』へとお願いして300円を払い、納め札と逼割行場の入口の鍵を受け取ります。 三十六童子と番外札20枚の計56枚で、順番に納めながら上って行くと逼割行場の門に到着します。 大師堂の奥にある仁王門横の案内看板 仁王門を抜けると、早速、右側に1番が見える(赤い札が納められている所) 札と座台の名前が一致していることを確かめて札を納める ココは、一度、左に進んで、戻ってくる 左に曲がると奥に童子が見える 次は、不動明王の札だが、正面に見えるのは不動明王では無かった 左の曲がって、一番奥にあるのが不動明王 56枚の札を納めて、逼割行場の入口横の大きな不動明王に到着 逼割行場 逼割行場の入口 目指す場所は、この岩の頂上 逼割行場の注意事項 入口の南京錠を解錠して中へ進む 門を開けると、正面に岩の裂け目が現れる この割れ目を登る 初めは傾斜が少し緩やかだが、手で岩を掴みながら出ないと登れない 後半は鎖を使い登る ちなみに、下りは、この鎖が無い場所が一番苦労した 岩の割れ目を登り切り、裏側の平坦な道を進む 平坦な通路の先にあったのは、石鎚山並の鎖場 しかも2本の鎖が、妙に絡まって、使いづらい 鎖場の次は急傾斜の梯子 幅も広く登りやすいが、所々、腐っているところを補強しているので、強度を確かめながら登る 頂上に「白山大権現」の祠 白山大権現 反対側の頂上には、お大師様の祠 納経所に戻り、頂いた奥之院の御朱印

34番 奥の院 本尾山

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本尾山 四国八十八ヶ所霊場 34番 奥の院 山の斜面に作られた簡素な堂に薬師如来(薬師瑠璃光如来)が祀られている。 以前は大師が一晩で刻んだとされる薬師瑠璃光如来像が安置されていたと伝わるが、戦後の混乱期に盗難に逢い、現在は薬師瑠璃光如来を模した石仏が安置されている。 納経は種間寺で行なっている。ただ、以前は御影の授与があったが現在は無い。 川沿いの巨岩と黄色い看板が目印 駐車場は無いので、少し手前の少し道幅が広い場所に路上駐車 入口 階段を登ると槇の木が3本 奥の院の石碑 巨岩の前に小屋 奥の院は、この中 初めは、扉を開けても良いのか少し躊躇 扉を開けて左側に照明のスイッチがあったが、スイッチを入れても点かなかった 扉の正面に「弘法大師のもたれ岩」 弘法大師のもたれ岩 祠 御朱印は、種間寺で頂ける

36番 奥の院 波切不動

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波切不動 四国八十八ヶ所霊場 36番 奥の院   弘法大師は延暦23年唐に渡り、長安の青龍寺で恵果和尚より真言密教の奥義を授けられ、真言八祖となられた。 帰国にあたり恩師報恩の為、一宇を建立したし、最勝地に留まれ。と独鈷杵を日本に向かって投げられた。 後に当地の古松にかかっている独鈷杵を感得され、ここに一宇を建立、寺号を『独鈷山青龍寺』として、不動明王の石像を安置された。 奥之院の場所は、青龍寺を通り過ぎ、横浪黒潮ラインの途中で、国民宿舎『土佐』の方に入って行くと事前に確認していたが、国民宿舎『土佐』(2017年閉店)が、リゾートホテル ヴィラ・サントリーニに変わっていて、入口を一度通り過ぎてしまった 引き返して、入口から少し進んだところに、奥の院の駐車場と入口があった 奥の院 入口 少し進むと奥の院に到着 境内は、土足禁止との事 側にサンダルがあったので、履き替えて進む 下駄箱の横の札の文字が消えていたので分からなかったが、素足で参拝するのが正しい事は、後日、分かった どうもこの札には「鳥居より先、素足にてお入り下さいませ。雨天時は、お履物、履き替えお願い致します」と書かれていたようだ 奥の院:独鈷山不動堂 不動堂の両脇に、天狗?河童?修験者?

新四国曼荼羅 57番 観音寺

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無量山 観音寺 新四国曼荼羅霊場 第57番 宗派:真言宗智山派 本尊:聖観世音菩薩 ご詠歌: 補陀落や 岸に寄せ来る 白波の 返すがへすも 誓い頼まん 住所:高知県須崎市大間西町12-2 ←56番 石見寺 →58番 峰興寺 寺伝によれば、聖徳太子が四天王寺を建造するために百済より仏師や工匠を招聘した。敏達天皇15年(585年)、その帰途で須崎沖で台風に遭い須崎湾に漂着した。一同が観音像を刻み、この地に寺院を建立し海上交通の安全を祈願したことが当寺の始まりと伝えられている。 天武天皇13年(684年)10月14日に当地で大地震が起こり須崎湾が大陥没した。この地震により観音像は堂ヶ奈呂に流されたとされる。 その後、平安時代中期の延喜3年(903年)宮ノ中土居山へ移され、戦国時代の元亀3年(1572年)に竹ノ鼻、大正15年(1926年)に現在地へと移転した。 平安時代前期の弘仁10年(819年)頃、弘法大師がこの地をに巡錫した。少年が栗を持っていたので一つ所望したところ、持っていた栗を全て差し出した。大師は少年を誉め、その栗の木を祈念した。すると一年に三度実をつけるようになったという三度栗の伝説が残っている。 本堂は、階段を登って2階 三度栗の木 御朱印

新四国曼荼羅 58番 峰興寺(ほうこうじ)

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金峯山 峰興寺 新四国曼荼羅霊場 第58番 宗派:法相宗 本尊:文殊菩薩 ご詠歌:御嶽山 真如の月に 照らされて 佛の知恵は 峰興寺 住所:高知県高岡郡越知町越知甲1633  ←57番 観音寺 →59番 薬師寺 開基は徳川家康の異母弟、松平定行である。三河國から密上演浄禅師を迎えて開山したと云う。元は松山にあった。藩主の菩提寺として栄えていたが排仏毀釈で衰退、名跡を 惜しみ明治の中頃、官許を待て当所に移転再建したもので県内外の信仰は知恵の文殊であるが、加持祈祷の専門道場として名高く人々の心の支えと成っている。 旧六月二十四日(本年は七月廿五日火曜日)の文殊大祭は柴灯大護摩を勤修し越知町夏の夜祭りとして有名である。 山門 本堂 一言観音菩薩 御朱印