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57番 元札所 石清水八幡神社

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石清水八幡神社 57番元札所 明治の神仏分離で、別当寺の栄福寺が、札所に。 栄福寺の反対側からの参道。 階段は段差が大きく、笹の葉で埋もれていて、登るのに一苦労。 境内 栄福寺へ続く参道。

新四国曼荼羅 40番、55番 元札所 別宮 大山祇神社

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別宮 大山祇神社 新四国曼荼羅霊場 40番 主祭神:大山積大神 社格等:大山祇神社 別宮、旧県社 所在:愛媛県今治市別宮町3丁目6-1 ←39番 竹林寺 →41番 光林寺 社伝によれば、大宝3年(703年)、越智玉澄が文武天皇の勅命により大三島・大山祇神社から祭神を越智郡日吉郷に勧請し、大山祇神社の別宮(地御前)としたのに始まる。 和銅5年(712年)に社殿が造営された(これをもって創建とする説もある)。以後、大山祇神社の社家・大祝家の分家の別宮氏が神職を勤めた。 正治年間(1199年-1200年)、大山祇神社の24の僧坊のうちの8坊が別宮に移され、別当寺・大積山光明寺の塔頭とされた。 そして、弘仁年間(810年 - 824年)空海が巡錫のとき当社に参拝し坊で法楽をあげたとされることから、その後、四国八十八箇所が成立したとき札所と定められ、納経は別当の光明寺でされていた。 江戸時代になると海を渡って、大三島の大山祇神社に参拝し別当の神宮寺で納経する熱心な遍路もいた。 その時の江戸時代の納経帳には「日本總鎮守 三島本宮 別當神宮寺」と書かれている。 天文20年(1551年)、落雷で社殿が炎上し、天正3年(1575年)に来島通総により再建された。 僧坊8坊は天正年間(1573年-1592年)に長宗我部氏の軍勢により焼き払われ、後に南光坊のみが再建され当社の別当寺となり、当社に参拝し納経は南光坊でするようになった。 近世は藤堂高虎をはじめとして歴代今治藩主の保護を受けた。 明治初年の神仏分離で当社の本殿に奉安されていた本地大通智勝如来と札所が南光坊へ移され、別当関係は解消された。 昭和12年、社殿新築される。そのとき拝殿は他所に移され絵馬堂として使用された。 昭和20年(1945年)、今治市街地は米軍の空襲を受けて当社の本殿を残しほとんどが焼失したが、絵馬堂となり他所に移されていた元拝殿も焼失を免れた。 そして、再建時、元拝殿を元の位置に戻し再び拝殿となる。 拝殿 御朱印

歩き遍路 2日目【日帰り】 JR伊予北条→JR大西

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JR伊予北条駅[9:15] ↓ 夜烏地蔵堂[10:15] ↓ 養護院[10:30] ↓ 鎌大師[11:15] ↓ 原地蔵堂[12:15] ↓ 小竹地蔵堂[12:25] ↓ 遍照院[13:40] ↓ 青木地蔵堂[14:40] ↓ JR大西駅[16:30] ← 52番 太山寺~53番 円明寺~北条 →大西~54番 円明寺~59番 国分寺 移動時間: 4:11:21 停止時間: 3:11:06 距離: 23.11 km 平均: 時速 5.52 km 最高スピード: 時速 8.65 km 累計登り: 66m 累計降り: 80m 累計移動距離:46.38km 31,923歩 ゴールデンウィークの中日、会社は有給休暇消化推進日で、休み 前回は、伊予北条駅から帰ったから、JRで伊予北条駅まで行って、続きを始める。 高校生の通学時間を避けて、遅めの出発。 三津浜駅から2両編成でやってきた列車に乗り込むと、学生ぽい乗客がいっぱい。 通路にも、たくさんの乗客が立っている状態で、結局、伊予北条駅まで座席に座ることはできなかった。 よーく考えると伊予北条駅の近くには高校以外に大学もあるんだった。 伊予北条駅を降りてから、東に進み、聖カタリナ大学の近くにある番外札所 夜烏地蔵堂へ。 その後、養護院[杖大師]へ 番外札所 養護院 養護院を出た後、北に進み河原地蔵堂の前を通り、マルナカのほうへ セルフうどんの「根っこ」とファミリーマートの間の交差点から北に進み鎌大師を目指す。 鎌大師で納経を済ませ、納経所を探すけど見当たらない。 御朱印は、諦めて、次に進むことにした。 鎌大師には、ヘンロ小屋 27号 鎌大師がある。 少し休憩して、山越えで浅海に向かう。 登り坂を頑張って登り、下り始めて、しばらく進むと分岐があって、遍路道の案内の石碑があった。 ここから、遍路道は、かなりの急勾配の下り坂。 下りの割には、疲れた。 勾配が緩やかになってから少し進んだところに「風早四国霊場72番 阿弥陀堂」というのがあった。 ここは、歩き遍路の地図にも出ていない。 ちなみに、風早というのは旧北条地区の事。 少し進むと「6地蔵」と「五里塚」 ここも、歩き遍路の地図に出てない。 遍路道と国道196号線が交わるところに番外札所「原地蔵堂」 ここは、前から四国遍路ののぼりが立っていて、気になっていた場所。 原地蔵堂と国道を

番外札所 青木地蔵堂

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菊間の太陽石油のコンビナートを越えて、登り坂を少し登ったところから、青木地蔵堂のほうへ降りる事が出来る。 地蔵堂 地蔵堂の向かいには、宿泊可能な通夜堂があった。少し休憩しようかと思ったが、自転車の先客がいたのでパスした。 「青木地蔵堂」の御朱印は、少し先の円福寺で頂けるようなので進むことに。 国道196号線の歩道橋の所から国道を外れ、川を渡ったところ円福寺が見えたけど、急な上り坂の上に山門。 このタイミングで登り坂は、ちょっとキツかった。 本堂 大師堂 納経所らしい所もなく、誰いないような雰囲気だったので、御朱印は諦めた。

番外札所 養護院(杖大師)

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養護院(杖大師)へは、県道179号線の伊予鉄北条バスターミナル手前の案内看板に従って脇道へ進む しばらく進むと養護院が見えてくる。 山門をくぐると本堂と大師堂がある。 本堂 大師堂 納経は自分で判を押す。 初めての事で、判の並びが分からず、今まで納経しているページを見ながら、「梵字は中央の上で、『奉納』は右上で・・・」と四苦八苦しながら押す。 他の参拝者がいなかったから、ゆっくり確かめながら作業できたのが救いだった。 養護院の横には大師像と石碑があったけど、何なのか分からなかった。