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13番 奥の院 建治寺

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大滝山 建治寺 四国八十八ヶ所霊場 13番 奥の院 四国三十六不動尊霊場 第12番札所 宗派:東寺真言宗 本尊:金剛蔵王大権現 本尊真言:おん ばざらくしゃ あらうんじゃ うん ご詠歌:わがむねに なやみ苦しむ 心をば 神の威徳で 建て治す寺 天智天皇の治世(661年 – 671年)に役小角が開基したと伝えられている 弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が四国巡礼をしている際に本寺を訪れ、修行したと伝わる。 その際、金剛蔵王権現を感得し、その尊像を刻み岩窟の奥深くに祀ったという。 時代は下って、天正13年(1585)蜂須賀家政が阿波藩主として着任後、戦に出陣した際、お告げを受け大勝した。 帰国後、そのお告げは当寺の本尊の化身と悟り、城下に堂を建立し薬師如来と共に持ち帰って城の守り本尊とした。 その後、奇異なことが続き、本尊が帰りたいと望んでいることがわかり、仏師に同じものを造らせそれを寺に納めたものの依然に奇異なことは続いた。 ついに手元に置くのを断念し、寺に返却したことから、本尊の金剛蔵王権現が弘法大師作の阿形と、蜂須賀公の彫らせた吽形の阿吽二体となった。 安政時代には、貞阿上人により興隆する。 急勾配の坂を登った先にある建治寺 駐車場に車を止めて境内に進む 大師堂の前に建治寺の縁起 厄除大師 本堂 駐車場からの眺め 御朱印

21番 奥の院 黒滝寺、新四国曼荼羅 88番

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龍王山 黒滝寺 四国八十八ヶ所霊場 21番 奥の院 新四国曼荼羅霊場 88番札所  宗旨:古義真言宗 宗派:高野山真言宗 本尊:十一面観音 御詠歌:うす雲に はるかに見ゆる 黒滝寺 瑠璃の岩間に 出(いづ)る加持水 住所:徳島県那賀郡那賀町阿津江字黒滝山5 ←87番 正光寺 →1番 東林院 旧木沢村の黒滝山山上、標高約760mの地点にあり、山岳仏教発祥の地と伝えられている。 寺伝によれば、延暦12年(793年)空海(弘法大師)が太龍ヶ嶽(現在の太龍寺)で修行中、神童(神龍とも伝えられる)が現れ「那賀川上流にある黒滝山で大龍が暴れ、人々を苦しめている」と告げた。 空海は那賀川を遡り、黒滝山を間近にしたところで一夜を明かした。 ここで虚空蔵菩薩を刻み小堂を建てた。空海はこの地を祈祷名と名付け、後に木頭名と呼ばれるようになったと言われる。 黒滝山上に登った空海は山上の湖に棲む大龍を前に十一面観音を刻み降伏退散の調伏を行った。これにより大龍は湖を出て竜王淵へ退散した。 降伏した大龍は空海に「閼伽井の水」という泉を贈った。 これが当寺の開創と伝えられている。境内には現在もこの霊水が湧き出しており、これを飲むと苦難や難病に効くと言い伝えられている。 戦国時代には、この地の豪族であった細川貞光が寺院周辺に砦を築いた。 また、当時の寺院には僧兵がおり山上は要塞化していた。天正10年(1582年)四国制覇を目指す長宗我部元親の阿波進攻の際に、ここを攻撃し寺院は砦とともに焼亡したと伝えられている。 この時、境内にあった池は僧兵や兵士の血で真っ赤に染まったと言われる。この池は現在、地形の変化により干上がっており湖跡庭園となっている。 江戸時代前期の元禄元年(1688年)快弁により寺院が再興された。再興の日が8月17日と伝えられており、快弁は当日、完成を祝って踊ったと言われる。 これを祝して毎年8月17日には「黒瀧まつり」が催され柴燈護摩が焚かれ、快弁が伝えたという黒瀧寺踊りが行われる。 現在見られる建物は、享保元年(1716年)から昭和31年(1956年)に建てられたものである。 黒滝寺までの道は、細い山道をかなりの距離を走る事になります こんな山奥に霊場があるのかと思うくらいの山奥です 着いてみると、広い境内に、結構立派な建物があります 山門 一段高いところに本堂 本堂 大師

新四国曼荼羅 72番 妙法寺

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宝珠光明山 妙法寺 新四国曼荼羅霊場 72番  宗派:真言宗御室派 本尊:阿弥陀如来 住所:徳島県名西郡神山町上分江田1206 ←71番 報恩寺 →73番 上一宮大粟神社 創建年は不詳。 普寂が中興したと伝わる。 雨乞いの寺として知られており、境内には強い水脈がある。新四国曼荼羅霊場の札所であり、毎年4月15日には曼荼羅祭が開催される 73番 上一宮大粟から72番 妙法寺まで来るので行く場合、細い山道を走る事になります  本堂 御朱印

12番 奥の院 蔵王大権現

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蔵王大権現 四国八十八ヶ所霊場 12番 奥の院  新型コロナウィルス対策による県をまたぐ移動の自粛が解除された事もあり、焼山寺の奥の院へ 奥の院は、焼山寺山頂上 (標高938m)にあります 本堂とは約300mの高低差 行き方がよく分からなかったので、納経所で訪ねると丁寧に教えてくれました また、安全確認のために名前も聞かれました。 戻ってきたら、名前を言うようにとの事 この調子だと、何も言わずに奥の院に行って、納経所で奥の院の御朱印を頂こうとすると怒られるような・・・ 道順を聞いといて良かった 本堂の一段下の食堂の角を左折します 宿坊らしき建物の横を抜け、左下に下りる坂を下ります 登りのアスファルトの道と合流して、そのまま直進 雪かき用のトラクターを保管している建物の横を抜けて登り坂に進みます ココから奥の院まで、1,100m コンクリート舗装からすぐに山道に変化します 広葉樹の落ち葉が積もって、意外に滑る 道には「アカマツ」「ソヨゴ」など木の名前が書かれた立て札がありましたが、どうも、この立て札、道標になっているようです 道が少し分かり難くなっている場所も、立て札を探せば正しい道が分かりました 大蛇封じ込めの岩の標識 ココで約半分 大蛇封じ込めの岩 弘法大師は、神通力を持ち火を吐いて村人を襲う大蛇がこの山に棲んでいることを聞き退治に向かった。 大蛇は全山に火を放って妨害したので摩盧(水輪)の印を結びながら進むと、山頂の岩窟に閉じこもって抵抗した。 そこで虚空蔵菩薩や三面大黒天に祈願するととうとう大蛇を岩窟の中に封じ込めることができた 残り半分、奥の院に向かいます 落ち葉は少なくなって歩きやすくなる 竜王窟と奥の院の分岐 奥の院へは、折り返して登ります 勾配がキツくなってくる 杖立権現の祠←奥の院ではありません 『奥の院』の標識の横の矢印を見逃すと間違える可能性大 納経所の方も間違える人がいると言っていた 杖立権現の祠 ココからは勾配は緩くなる 尾根沿いを進む 道の両側は絶壁です 最後の急勾配の上り坂の上に、奥の院の建物が見えてきた 12番 焼山寺 奥の院 蔵王大権現の祠 奥の院からの眺め かなり高いところまで登ってきたのが、よく分かる 焼山寺の納経所で奥の院の御朱印を頂きました 歩き遍路の時、番外札所用の納経帳を持ち歩いてなかったので、柳水庵、一本杉庵の御朱印