投稿

新四国曼荼羅 78番 東宗院

イメージ
日照山 東宗院 新四国曼荼羅霊場 78番 本尊:如意輪観世音菩薩 宗派:高野山真言宗 ご詠歌:東よりあまねく照らす 山の峰 観音慈悲の 功徳尊し 住所:徳島県徳島市寺町90 ←77番 万福寺 →79番 東照寺 元は藍住(現板野郡藍住町)にあり、勝瑞城主・細川持隆の祈願所であった。 蜂須賀公の代に現在の位置に移った。 三間四方の寶形の本堂は平成に入ってから造られた。 寺町という場所、初めて来ましたが、たくさんの神社や寺院が並んで建っているので、東宗院の場所が分からず、しばらくウロウロ  本堂 本堂

新四国曼荼羅 77番 万福寺

イメージ
寶珠山 万福寺 新四国曼荼羅霊場 77番 阿波秩父観音霊場 29番 徳島七福神霊場・弁財天 宗派:真言宗大覚寺派 本尊:聖観音 住所:徳島県徳島市吉野本町5-2 ご詠歌:後の世を うくるぞうれし 万福寺 歩みを運ぶ 身こぞたのもし ←76番 観音院 →78番 東宗寺 830年(天長7年)7月7日に淳和天皇の御代に弘法大師は辯財秘密護摩を焚き、結界にこの灰を持って辯天像を造り、十八天女像と共に安置したと云われている。 現在では秘佛となり、商売繁盛・縁結びにその力が使われているとされている。 寺伝によれば、平安時代前期の貞観年間(859年 - 877年)に円珍(智証大師)が開創したとされる。 戦国時代は権力の移り変わりに翻弄され、受難が続く寺であったと云われている。 1945年(昭和20年)の太平洋戦争の戦火で堂宇、山門、庫裏等が燃え尽きた。 敗戦後、20年で本堂再建に進んだ。  鐘楼門 本堂 聖観音像 御朱印

新四国曼荼羅 75番 地蔵院

イメージ
如意山 地蔵院 新四国曼荼羅霊場 75番 阿波六地蔵霊場 2番札所 本尊:日惹地蔵菩薩 宗派:真言宗大覚寺派 住所:徳島県徳島市名東町1-335 ご詠歌:もろびとの 願いをかなう 地蔵尊 みどりの山の ふところにして ←74番 宝蔵寺 →76番 観音院 平安時代初期の弘仁年間(810年-824年)に弘法大師が四国巡錫の折に女人の出産の安産を願い、地蔵菩薩を安置したことが始まりといわれている。 江戸時代には徳島藩の庇護を受け、藩主蜂須賀家の安産祈願所となった。 現在も安産祈願の参拝者が見られる。 歩き遍路道沿いにある地蔵院ですが、参拝は初めて   本堂 大師堂 御朱印

14番 奥の院 慈眼寺

イメージ
妙雲山  慈眼寺 四国八十八ヶ所霊場 14番 奥の院  本尊:十一面観音(子安観音) 宗派:高野山真言宗 常楽寺の寺領に位置する。 本堂には十一面観世音菩薩を本尊とし、脇仏に弁財天、毘沙門天を安置している。 本堂東前面に、生木地蔵尊の小堂あり(昔 越中 高岡の住人、田中喜八なる者境内に通夜中大師より夢告あり桧に地蔵尊を刻め二願を叶えしめん)と、以後祈願成就する者跡をたたず。 しかるに昭和29年9月の台風により古桧倒壊の被害を受けたが、尊像は暇もなく原存し霊験益々新たかである。 なお倒木の整理の際霊威にふれて熱病に侵されし者もあった程不思議な尊像である。 歩き遍路の時に、一度、立ち寄った奥の院に、再度参拝 本堂 大師堂 生木地蔵 窓越しに生木地蔵を見る事が出来ます 御朱印は常楽寺で頂けます  御朱印

13番 奥の院 建治寺

イメージ
大滝山 建治寺 四国八十八ヶ所霊場 13番 奥の院 四国三十六不動尊霊場 第12番札所 宗派:東寺真言宗 本尊:金剛蔵王大権現 本尊真言:おん ばざらくしゃ あらうんじゃ うん ご詠歌:わがむねに なやみ苦しむ 心をば 神の威徳で 建て治す寺 天智天皇の治世(661年 – 671年)に役小角が開基したと伝えられている 弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が四国巡礼をしている際に本寺を訪れ、修行したと伝わる。 その際、金剛蔵王権現を感得し、その尊像を刻み岩窟の奥深くに祀ったという。 時代は下って、天正13年(1585)蜂須賀家政が阿波藩主として着任後、戦に出陣した際、お告げを受け大勝した。 帰国後、そのお告げは当寺の本尊の化身と悟り、城下に堂を建立し薬師如来と共に持ち帰って城の守り本尊とした。 その後、奇異なことが続き、本尊が帰りたいと望んでいることがわかり、仏師に同じものを造らせそれを寺に納めたものの依然に奇異なことは続いた。 ついに手元に置くのを断念し、寺に返却したことから、本尊の金剛蔵王権現が弘法大師作の阿形と、蜂須賀公の彫らせた吽形の阿吽二体となった。 安政時代には、貞阿上人により興隆する。 急勾配の坂を登った先にある建治寺 駐車場に車を止めて境内に進む 大師堂の前に建治寺の縁起 厄除大師 本堂 駐車場からの眺め 御朱印

21番 奥の院 黒滝寺、新四国曼荼羅 88番

イメージ
龍王山 黒滝寺 四国八十八ヶ所霊場 21番 奥の院 新四国曼荼羅霊場 88番札所  宗旨:古義真言宗 宗派:高野山真言宗 本尊:十一面観音 御詠歌:うす雲に はるかに見ゆる 黒滝寺 瑠璃の岩間に 出(いづ)る加持水 住所:徳島県那賀郡那賀町阿津江字黒滝山5 ←87番 正光寺 →1番 東林院 旧木沢村の黒滝山山上、標高約760mの地点にあり、山岳仏教発祥の地と伝えられている。 寺伝によれば、延暦12年(793年)空海(弘法大師)が太龍ヶ嶽(現在の太龍寺)で修行中、神童(神龍とも伝えられる)が現れ「那賀川上流にある黒滝山で大龍が暴れ、人々を苦しめている」と告げた。 空海は那賀川を遡り、黒滝山を間近にしたところで一夜を明かした。 ここで虚空蔵菩薩を刻み小堂を建てた。空海はこの地を祈祷名と名付け、後に木頭名と呼ばれるようになったと言われる。 黒滝山上に登った空海は山上の湖に棲む大龍を前に十一面観音を刻み降伏退散の調伏を行った。これにより大龍は湖を出て竜王淵へ退散した。 降伏した大龍は空海に「閼伽井の水」という泉を贈った。 これが当寺の開創と伝えられている。境内には現在もこの霊水が湧き出しており、これを飲むと苦難や難病に効くと言い伝えられている。 戦国時代には、この地の豪族であった細川貞光が寺院周辺に砦を築いた。 また、当時の寺院には僧兵がおり山上は要塞化していた。天正10年(1582年)四国制覇を目指す長宗我部元親の阿波進攻の際に、ここを攻撃し寺院は砦とともに焼亡したと伝えられている。 この時、境内にあった池は僧兵や兵士の血で真っ赤に染まったと言われる。この池は現在、地形の変化により干上がっており湖跡庭園となっている。 江戸時代前期の元禄元年(1688年)快弁により寺院が再興された。再興の日が8月17日と伝えられており、快弁は当日、完成を祝って踊ったと言われる。 これを祝して毎年8月17日には「黒瀧まつり」が催され柴燈護摩が焚かれ、快弁が伝えたという黒瀧寺踊りが行われる。 現在見られる建物は、享保元年(1716年)から昭和31年(1956年)に建てられたものである。 黒滝寺までの道は、細い山道をかなりの距離を走る事になります こんな山奥に霊場があるのかと思うくらいの山奥です 着いてみると、広い境内に、結構立派な建物があります 山門 一段高いところに本堂 本堂 大師

新四国曼荼羅 72番 妙法寺

イメージ
宝珠光明山 妙法寺 新四国曼荼羅霊場 72番  宗派:真言宗御室派 本尊:阿弥陀如来 住所:徳島県名西郡神山町上分江田1206 ←71番 報恩寺 →73番 上一宮大粟神社 創建年は不詳。 普寂が中興したと伝わる。 雨乞いの寺として知られており、境内には強い水脈がある。新四国曼荼羅霊場の札所であり、毎年4月15日には曼荼羅祭が開催される 73番 上一宮大粟から72番 妙法寺まで来るので行く場合、細い山道を走る事になります  本堂 御朱印