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新四国曼荼羅 80番 地蔵寺

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國伝山 地蔵寺 新四国曼荼羅霊場 80番 本尊:地蔵菩薩 宗派:真言宗大覚寺派 住所:徳島県小松島市松島町11-26 ←79番 東照寺 →81番 如意輪寺 弘法大師巡錫のおり、海畔一区の霊場として開基されたと伝説され、旧小松島市街の中心に位置する。 山門・本堂・大師堂・多宝塔・鐘楼堂・三十三観音堂・庫裏が建つ。 往古より京都大覚寺末の中本寺で、阿波藩内寺院を監督する八門首寺の一つと言われている。 本堂の建物は足利幕府の末裔平島公方の館を移築したもので、簡素で力強い佇まい大唐破風の玄関と書院、高雄曼荼羅を復元した紺紙金銀泥の胎蔵大マンダラは県指定文化財である。 境内に湧く宝寿水は、おいしく身体によい地下水として人気がある 地蔵寺の駐車場は境内にあったが、門が狭いので大型車は通れないかも 車が通れる門の反対側に仁王門はあった   手水舎 大師堂 多宝塔 鐘楼 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 81番 如意輪寺(にょいりんじ)

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中津峰山 如意輪寺 新四国曼荼羅霊場 81番 阿波秩父観音霊場 1番 阿波七福神霊場・大黒天 本尊:如意輪観音 宗派:高野山真言宗 ご詠歌:御佛の おしえも高き 中津峰 法の誓いを たのめ世の人 住所:徳島県徳島市多家良町中津2-2 ←80番 地蔵寺 →82番 長谷寺 阿波三峰のひとつ中津峰山にあることから中津峰観音と称される。 徳島南部には、弘法大師が太龍寺山の舎心ヶ嶽・太龍寺から中津峰山の方向に北斗七星を拝して、悪星を祈り落としたという伝説が多く伝わっている。  21番 奥之院 南舎心嶽 中津峰山の南麓には弘法大師が祈り落とした悪星を封じ込めたという星の岩屋・星谷寺がある。 19番 奥之院 星の岩屋 中津峰山山頂(天津神社)と如意輪寺にまつられる総鎮守の三十八社大権現は九曜二十八宿の星々と地元の神の三十八の神々を合祀した神で、如意輪観音の本地とされる。 古来より如意輪寺の位置する中津峰山が、観音菩薩の居所とされる補陀落山に擬せられることから観音の霊場とされた。 県道33号からガソリンスタンドの角を曲がって中津峯山山頂に向って約6km車道を行くと突然車道脇に仁王門が現れる。 さらに上がって行くと如意輪寺の石柱があり、そこが駐車場。 脇の石段を少し上がると、さらに石段があり、その途中に竜宮様式の中門 やっと本堂かと思ったら本坊の段で赤い橋を渡って、さらに見上げるような石段が続く。 なんとか上り切ると正面に本堂 左手奥に大師堂と三十八社 本堂の右に隣接して不動堂 御朱印

新四国曼荼羅 82番 長谷寺

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龍光山 長谷寺 新四国曼荼羅霊場 82番 本尊:千手観世音菩薩 宗派:高野山真言宗 ご詠歌:ただための 照らすこの世を 長谷寺 大慈大悲の 誓いたのもし 住所:徳島県徳島市渋野町宮前27 ←81番 如意輪寺 →83番 神宮寺 創建年・開基ともに不明である。創建年は一説によると鎌倉時代との説もある。 近隣には天王塚や新宮塚があり、四国では第二の規模を誇る前方後円墳・渋野丸山古墳がある。 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 74番 宝蔵寺(ほうぞうじ)

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蓮華山 宝蔵寺 新四国曼荼羅霊場 74番 阿波六地蔵霊場 4番 阿波秩父観音霊場 3番 本尊:地蔵菩薩 宗派:高野山真言 住所:徳島県名東郡佐那河内村嵯峨38 ←73番 上一宮大粟神社 →75番 地蔵院 江戸時代前期の元和年間(1615年-1624年)に創建したと伝わる。 地蔵菩薩を本尊とする真言宗御室派の寺だったが、1946年(昭和21年)に高野山真言宗となった。 駐車場らしき場所が見当たらないので、橋の手前にあった神社近くの広くなった路肩に駐車して参拝 山門手前の道は狭く軽四でギリギリ通れる幅 本堂 本堂横の納経所で声をかけるが誰も出てこない 新曼荼羅の納経セット箱がないので、どうしようかと悩む かなりの山奥なので再度訪問するのも辛い 以前、67番 滝寺でも、こんなことがあり再訪問したが、住職が本堂に置かれた金属製の角箱から御朱印を出していたのを思い出す 同じような箱が納経所の台に置かれているので、恐る恐る開けてみると、御朱印が入っていました 勝手に箱を開けるのは気が引けるので、せめて御朱印とか箱に書いていてくれれば、ありがたい 御朱印

新四国曼荼羅 79番 東照寺

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浄榮山 東照寺 新四国曼荼羅霊場 79番 阿波秩父観音霊場 28番 阿波六地蔵霊場 3番 徳島七福神霊場・福禄寿 本尊:十一面観音 宗派:真言宗大覚寺派 住所:徳島県徳島市福島2丁目3-7 ←78番 東宗寺 →80番 地蔵寺 当山は元、不段寺と号し、延命地蔵菩薩を本尊として、寛永二年宥昌上人により開山されました。 その後若き日の大師が、室戸の崎にて御修行の砌に刻まれ、その地に安置し祀り継がれた十一面観音様が、縁ありて当山へ来たってより、室戸の東寺(最御崎寺)と津照寺の一字を以て東照寺と寺号を改めました。 元の本尊の地蔵菩薩 ( 重文 ) は、半跏像で鎌倉時代の秀れた仏像です。 彩色は剥落していますが、ふくよかなお顔の唇に紅を残し、拝む者を優しく包み込んで 下さいます。 通りから少し入ったところにあるので、場所が分かり難かった 駐車場は境内にあった  本堂 御朱印

新四国曼荼羅 78番 東宗院

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日照山 東宗院 新四国曼荼羅霊場 78番 本尊:如意輪観世音菩薩 宗派:高野山真言宗 ご詠歌:東よりあまねく照らす 山の峰 観音慈悲の 功徳尊し 住所:徳島県徳島市寺町90 ←77番 万福寺 →79番 東照寺 元は藍住(現板野郡藍住町)にあり、勝瑞城主・細川持隆の祈願所であった。 蜂須賀公の代に現在の位置に移った。 三間四方の寶形の本堂は平成に入ってから造られた。 寺町という場所、初めて来ましたが、たくさんの神社や寺院が並んで建っているので、東宗院の場所が分からず、しばらくウロウロ  本堂 本堂

新四国曼荼羅 77番 万福寺

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寶珠山 万福寺 新四国曼荼羅霊場 77番 阿波秩父観音霊場 29番 徳島七福神霊場・弁財天 宗派:真言宗大覚寺派 本尊:聖観音 住所:徳島県徳島市吉野本町5-2 ご詠歌:後の世を うくるぞうれし 万福寺 歩みを運ぶ 身こぞたのもし ←76番 観音院 →78番 東宗寺 830年(天長7年)7月7日に淳和天皇の御代に弘法大師は辯財秘密護摩を焚き、結界にこの灰を持って辯天像を造り、十八天女像と共に安置したと云われている。 現在では秘佛となり、商売繁盛・縁結びにその力が使われているとされている。 寺伝によれば、平安時代前期の貞観年間(859年 - 877年)に円珍(智証大師)が開創したとされる。 戦国時代は権力の移り変わりに翻弄され、受難が続く寺であったと云われている。 1945年(昭和20年)の太平洋戦争の戦火で堂宇、山門、庫裏等が燃え尽きた。 敗戦後、20年で本堂再建に進んだ。  鐘楼門 本堂 聖観音像 御朱印

新四国曼荼羅 75番 地蔵院

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如意山 地蔵院 新四国曼荼羅霊場 75番 阿波六地蔵霊場 2番札所 本尊:日惹地蔵菩薩 宗派:真言宗大覚寺派 住所:徳島県徳島市名東町1-335 ご詠歌:もろびとの 願いをかなう 地蔵尊 みどりの山の ふところにして ←74番 宝蔵寺 →76番 観音院 平安時代初期の弘仁年間(810年-824年)に弘法大師が四国巡錫の折に女人の出産の安産を願い、地蔵菩薩を安置したことが始まりといわれている。 江戸時代には徳島藩の庇護を受け、藩主蜂須賀家の安産祈願所となった。 現在も安産祈願の参拝者が見られる。 歩き遍路道沿いにある地蔵院ですが、参拝は初めて   本堂 大師堂 御朱印

21番 奥の院 黒滝寺、新四国曼荼羅 88番

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龍王山 黒滝寺 四国八十八ヶ所霊場 21番 奥の院 新四国曼荼羅霊場 88番札所  宗旨:古義真言宗 宗派:高野山真言宗 本尊:十一面観音 御詠歌:うす雲に はるかに見ゆる 黒滝寺 瑠璃の岩間に 出(いづ)る加持水 住所:徳島県那賀郡那賀町阿津江字黒滝山5 ←87番 正光寺 →1番 東林院 旧木沢村の黒滝山山上、標高約760mの地点にあり、山岳仏教発祥の地と伝えられている。 寺伝によれば、延暦12年(793年)空海(弘法大師)が太龍ヶ嶽(現在の太龍寺)で修行中、神童(神龍とも伝えられる)が現れ「那賀川上流にある黒滝山で大龍が暴れ、人々を苦しめている」と告げた。 空海は那賀川を遡り、黒滝山を間近にしたところで一夜を明かした。 ここで虚空蔵菩薩を刻み小堂を建てた。空海はこの地を祈祷名と名付け、後に木頭名と呼ばれるようになったと言われる。 黒滝山上に登った空海は山上の湖に棲む大龍を前に十一面観音を刻み降伏退散の調伏を行った。これにより大龍は湖を出て竜王淵へ退散した。 降伏した大龍は空海に「閼伽井の水」という泉を贈った。 これが当寺の開創と伝えられている。境内には現在もこの霊水が湧き出しており、これを飲むと苦難や難病に効くと言い伝えられている。 戦国時代には、この地の豪族であった細川貞光が寺院周辺に砦を築いた。 また、当時の寺院には僧兵がおり山上は要塞化していた。天正10年(1582年)四国制覇を目指す長宗我部元親の阿波進攻の際に、ここを攻撃し寺院は砦とともに焼亡したと伝えられている。 この時、境内にあった池は僧兵や兵士の血で真っ赤に染まったと言われる。この池は現在、地形の変化により干上がっており湖跡庭園となっている。 江戸時代前期の元禄元年(1688年)快弁により寺院が再興された。再興の日が8月17日と伝えられており、快弁は当日、完成を祝って踊ったと言われる。 これを祝して毎年8月17日には「黒瀧まつり」が催され柴燈護摩が焚かれ、快弁が伝えたという黒瀧寺踊りが行われる。 現在見られる建物は、享保元年(1716年)から昭和31年(1956年)に建てられたものである。 黒滝寺までの道は、細い山道をかなりの距離を走る事になります こんな山奥に霊場があるのかと思うくらいの山奥です 着いてみると、広い境内に、結構立派な建物があります 山門 一段高いところに本堂 本堂 大師