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新四国曼荼羅 71番 報恩寺

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速成山 報恩寺 新四国曼荼羅霊場 71番 阿波西国三十三観音霊場 29番 宗派:真言宗御室派 本尊:愛染明王 住所:徳島県吉野川市鴨島町飯尾728 ←70番 東福寺 →72番 妙法寺 創建は平安時代。 境内には鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて建てられた板碑があり、1981年(昭和56年)12月1日に吉野川有形文化財に指定された。 報恩寺境内のイチョウの木の横にある五輪の塔には、室町時代に足利義政に仕えた飯尾常房の墓がある。   御朱印

10番 奥の院 八祖大師

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八祖大師 四国八十八ヶ所霊場 10番 奥の院   「八祖大師」とはインドから中国を経て日本へと密教を伝えた正統の八人の祖師のこと 第一祖 龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)  大乗仏教の大学者で、真言密教の奥義を感得したと伝えられる高僧。 第二祖 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)  龍猛菩薩より密教を相承したといわれ、金剛智三蔵に七年にわたって  真言密教の奥義を伝えた。 第三祖 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)  中インドに王子として生まれ、玄宗皇帝に国師と仰がれ真言密教の儀式を伝える。  金剛智訳とされる経典が現存する。 第四祖 不空三蔵(ふくうさんぞう)  金剛智三蔵の弟子として二十五年間仕える。三代皇帝の国師と仰がれる。 第五祖 善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)  東インドの王子として生まれ王位を継ぐが出家。  真言密教の根本経典である「大日経」を翻訳した。 第六祖 一行阿闍梨(いちぎょうあじゃり)  唐代屈指の学問僧といわれ、金剛智三蔵より「金剛頂経」系の密教を受け継ぐ。 第七祖 恵果阿闍梨(けいかあじゃり)  弘法大師の師にあたる中国人僧。  貞元(じょうげん)二十一年(805)で病に倒れると、  弘法大師に法を伝えることにして灌頂を授けた。  大師はこれを日本に伝え真言宗を開いたと云われる。 第八祖 弘法大師 本堂の左側を通り大塔の方へ登っていく 途中、不動堂がある 大塔 大塔の前を通り抜け奥に進む 奥の院への道標 獣除けの柵を抜けて進む 少し登ったところに八祖大師の祠がある 奥の院の内部 御朱印は切幡寺の納経所で頂ける

新四国曼荼羅 76番 観音院

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雲龍山 観音院 新四国曼荼羅霊場 76番 阿波西国三十三観音霊場 6番  宗派:高野山真言宗 本尊:十一面観世音菩薩 住所:徳島県板野郡藍住町奥野字猪熊96 ←75番 地蔵院 →77番 万福寺 神亀6年(729年)、勝道上人によって創建。勝道上人が諸国巡錫の際に聖徳太子の仏法興隆の霊告をうけて建立したとされる。 また大同年間、空海が阿波国ではじめて観音院で土砂加持秘法を行ったと云われている。 神仏習合の名残が色濃く残る全景   山門 本堂 三宝大荒神参道 境内は紫陽花が見ごろ 拝殿 厄流し所 惣助たぬき祠 川崎大権現 奥殿 御朱印

筑前国 一之宮 住吉神社

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住吉神社 筑前国 一之宮 祭神は次の5柱。これら5柱をして「住吉五所大神」とも総称される。 主祭神【住吉三神】:底筒男命・中筒男命・表筒男命 配祀神:天照皇大神・神功皇后 福岡市中心部、かつて比恵川と那珂川の河口、冷泉津に突き出る形で鎮座しており、航海守護神の住吉三神を祀る神社である。 全国には住吉神社が2,000社以上分布し、一般には大阪の住吉大社がその本社とされるが、同社の『住吉大社神代記』には住吉三神は筑紫大神と記されているため、当社が全ての住吉神社の始祖である。 古代には他の住吉神社とともにヤマト王権の国家的航海神として崇敬され、中世からは筑前国の一宮に位置づけられたほか、領主・一般民衆からも海にまつわる神として信仰された古社になる。 古事記に登場する伊弉諾大神(イザナギノオオカミ)の禊祓(みそぎはらえ)によってこの住吉三神が生まれたことで、浄化の神として、私たちの心身の浄化と開運の恵みがご神徳とされています。 住吉橋を渡って進むと天津神社が見えてくる。 伊弉諾大神が禊払いをした池といわれてる「天竜池」。 かつてこの地まで満潮時の海が押し寄せていたという言い伝えからきている。 そしてアーチ型の小さい橋を渡るとその向こうに「天津神社」がひっそりと佇んでいる 。 天津神社  祭神:伊弉諾大神 天竜池を抜けると住吉神社の西門 参道の途中に少彦名神社がある。 少彦名神社 祭神:少彦名命 神門 本殿と拝殿 本殿は、江戸時代前期の元和9年(1623年)の福岡藩主黒田長政による造営。 様式は「住吉造(すみよしづくり)」と称される独特のもので、大阪の住吉大社とも共通する。住吉大社本殿は4棟でこちらは1棟であるが、造営年代は住吉大社本殿(1810年造営)より大きく先行する。 形式は桁行(奥行)4間・梁間(間口)2間の切妻造で、屋根は檜皮葺。屋根やそれに付す破風・千木・堅魚木3本が直線的であるという点は、古制を反映するという。柱は朱色、板壁は白色で彩る。この住吉造は、神明造・大社造などとともに仏教渡来以前に遡りうる古代日本の建築様式とされ、ヤマト大王の住居の様式とする説もある。 この本殿は国の重要文化財に指定されている。 改築・修理する御遷宮が25年ごとに行われている。 本殿前に建てられている拝殿は、入母屋造で、屋根は銅板葺。 古代力士像 古代の力士をかたどった像。博多人