投稿

32番 奥の院、新四国曼荼羅 59番 薬師寺

イメージ
岩屋山 薬師寺 四国八十八ヶ所霊場 32番 奥の院 岩屋観音堂 新四国曼荼羅 59番 宗派:真言宗豊山派 本尊:薬師如来 ご詠歌:みな人の 病みぬる年の 薬師寺 瑠璃のくすり あたえめしませ 住所:高知県高知市介良丙1832 ←58番 峰興寺 →60番 閑慶院 平安時代末期、平治の乱で敗れ土佐国介良荘に流罪となっていた源希義が、同母兄頼朝の挙兵により平家より謀反の嫌疑をかけられ討たれた。希義の師であった琳猷上人は、その死を悼んで寺院を興し希義の念持仏を安置したといわれる。これが当寺院の始まりであると伝えられている。 岩屋観音堂 : 本堂の段を更に約20分ほど登った山頂近くにあり、このお堂は四国八十八箇所 第32二番札所 禅師峰寺 奥の院とされている。本尊は十一面観世音菩薩。 平地にあると思いこんで、近くになっても建物が見当たらず、しばらく付近をウロウロ 少し離れた場所から山を見ると上の方に続く階段と建物が見えて、納得 下の駐車場に車を停めて、長い階段を登る 登りきった所に、厄除修行大師像 本堂 新四国曼荼羅の御朱印

31番 奥の院 船岡堂

イメージ
船岡堂 四国八十八ヶ所霊場  31番 奥の院   本尊:不動明王 廃仏毀釈によって廃れていた竹林寺の再興に努力した明治中期の住職船岡芳信和尚に因んだ堂 多宝塔と本堂の間の道を奥に進む 少し歩くと右手に船岡堂 船岡堂 納経及び御影の授与は竹林寺納経所にて。

新四国曼荼羅 60番 閑慶院(かんけいいん)

イメージ
吉峰山  閑慶院 新四国曼荼羅霊場 第60番 宗派:曹洞宗 本尊:阿弥陀如来 ご詠歌:童謡の調べに和する鐘の音は 吉あり慶あり道ひらくてら 住所:高知県安芸市井ノ口乙2029 ←59番 薬師寺 →61番 定福寺 創建年代は明らかではないが、永録年間(1558~70)浄貞寺三世昌岩天久大和尚を勧請してご開山とした。 幕末維新後、大政官布告(明治初年)による廃仏没釈風潮の高まり に、県下寺院のほとんどが廃寺となり当寺も例外ではなかった。 時の住職泰心和尚が死守やがて檀徒岩崎家(三菱創業)の興隆を背景に大本山永平寺第六十―世環渓密雲禅師を復立開山に拝請し明治十六年三月大本山水平寺御直末寺院として再興のスタートをき った。 岩崎美和刀自(弥太郎・弥之助の母)の死(明治三十年三月) 弥太郎十七回忌にあたり追善供養のため、本堂・鐘楼堂・山門建立資金が寄進され明治三十四年に現在の堂宇ができあがった。 初代凡鐘の供出・終戦・農地解放等々幾多の困難を岩崎家はじめ檀信徒各位のご協力により克服凡鐘再鋳・堂宇修復を重ね現在にいたっている。 入口にあった樹齢600年の椋(むく)の木 本堂 御朱印

28番 奥の院 爪彫薬師

イメージ
爪彫薬師 四国八十八ヶ所霊場 28番 奥の院 大日寺山門から約200m奥の地に、薬師如来の尊像を彫刻した楠の立木があった。弘法大師が彫刻した霊木と呼ばれ、奥の院として崇められてきたが、明治初年の台風に倒れ、その跡地に一堂を建立し霊木を安置している 奥の院の爪彫薬師は首から上の病に霊験ありとされ、平癒を祈る参拝者が跡を絶たない。 願いが叶うと穴の開いた石に氏名、年齢、快癒した身体の部位を書き奉納する習わしとなっている。 納経所の前を通り過ぎて、少し進むと奥の院の入口がある 奥の院

24番 奥の院 一夜建立の岩屋 観音窟

イメージ
一夜建立の岩屋 観音窟 四国八十八ヶ所霊場 24番 奥の院  国道55号室戸岬登山口の左奥にある洞窟に、弘法大師が唐から持ち帰ったと伝えられる大理石の如意輪観世音菩薩像が安置されていた(現在は最御崎寺宝物殿に安置されている)。 真念の「道指南」では、竜宮より上がった像と云われ、巨石の厨子に蔵められ金剛像2体が脇を固め、両扉には天女が描かれていたとあり、洞の前に庵があり、最御崎寺が女人禁制であったため、ここで札を納めた女人堂の役目をしていたとある。 納経及び御影の授与は最御崎寺納経所にて行なっている。 国道55号線の標識の場所から入っていく すぐに広場になり、右側が最御崎寺への登山道 左側に奥の院の観音窟 入口の案内看板 観音窟の内部 最御崎寺の納経所で頂いた御朱印 納経所の方は、しばしば、筆を止め、頭の中で思い出しながら書き上げた 「東寺」ではなく「一夜建立之岩屋」となっているのは、良いのでしょうか・・・

新四国曼荼羅 86番 江音寺

イメージ
龍昇山 江音寺 新四国曼荼羅霊場 86番 山号: 宗派:曹洞宗 本尊:阿弥陀如来 ご詠歌:立ち寄れば 入江に響く波の音 共に歩まん み佛の道 住所:徳島県海部郡海陽町浅川宮川ヨリ西169-1 ←85番 満徳寺 →87番 正光寺 1523年(大永3年)に創建。かつては海陽町加島に江月庵と称していた。寛永年間(1624年-1644年)に現在の場所に移し、江音寺と改めた。古くから地蔵尊のお寺として信仰を集めている 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 85番 満徳寺

イメージ
摩尼山 満徳寺 新四国曼荼羅霊場 第85番 宗派:高野山真言宗 本尊:虚空蔵菩薩 ご詠歌:あわす手に ゆたかなうしお たたえる 心ぞなごむ 満徳の寺 住所:徳島県海部郡牟岐町牟岐浦浜崎1 ←84番 弘法寺 →86番 江音寺 伝承によれば奈良時代に行基が創建したという。はじめは万鶴山願成寺と称したが、1427年(応永10年)に増吽僧正が中興し満徳寺と改めた。境内には童謡詩人の野口雨情の「牟岐みなと節」の歌碑がある。 本堂 草鞋大師 御朱印