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番外札所 砥石観音堂

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 讃岐三十三観音霊場 第十三番萬福寺 奥の院 大同3年(808年)、弘法大師が四国霊場第七十番札所の本山寺を建立するにあたり、その材木を集めていた際、なたや斧などが刃こぼれし伐採に困難を極めていました。行脚の僧が差し出した砥石で道具を研いだところ短日で切り出すことができました。その後、村人が砥石を持ち帰り、お堂を建立して安置したと伝えられています。 階段を登ると観音堂

新四国曼荼羅 33番 清楽寺

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仏生山 清楽寺 新四国曼荼羅霊場 33番 四国88ヶ所 60番 前札所 宗派:高野山真言宗 本尊:阿弥陀如来 所在:愛媛県西条市小松町新屋敷甲1876 ←32番 極楽寺 →34番 妙雲寺 聖武天皇の勅願、行基菩薩の開基、越智玉澄の開創とされる。 寺伝によれば、行基菩薩が当地を巡行した時、西方から光明が輝き、阿弥陀如来が表れて土中に入った。これを見た行基菩薩は、自ら阿弥陀如来の尊像を刻み、一宇を建立して安置した。これが当寺の開創であるという。法寂律師が住持の時、弘法大師が留錫し、真言の秘法を授けたと伝わる。 『小松邑誌』には、元は北川村にあり、密厳寺と号したという。兵火にかかることたびたびであったが、その都度、伊予の国主・河野氏の外護により再建された。天正の兵乱の後、元和元年(1620)快音上人が密厳寺・仏生寺を併せて現在地に再興し、清楽寺と号するようになった。江戸時代には小松藩主・一柳氏の帰依を受けた。 明治初めの神仏分離により、横峰寺が廃寺になった際、弘法大師ゆかりの寺であることをもって60番札所とされた。その後、明治12年(1879)に横峰寺が大峰寺として再興されたため、明治18年(1885)協議の上で札所を大峰寺に戻し、清楽寺は前札所と定められた。 ここで、なぜ決着までに時間がかかったか、というより、なぜ18年に決着したかということについてヒントになると思われるのが、同17年(1884)本来の前札所である 妙雲寺 が火災に遭い、廃寺となっていることである。妙雲寺を再建せずに前札所を清楽寺に移すことで決着が計られたのではないかと推測される(後に妙雲寺は再興され、60番前札旧跡を称している)。 本尊脇侍の観世音菩薩は「ひとこと観音」と称される。小松藩第三代藩主・一柳頼邦の母が内臓疾患を患ったとき、当時の住職がひとこと観音に祈願したところ、あらたかな効験があった。以来、内臓疾患、特にガン封じの霊験で今も広く信仰を集めているという。元は仏生寺の秘仏であったともいう。 また、一柳頼邦は、母の病気平癒祈願成就の奉賽として、古銭を集めて鋳造した観音像(元銭観音と称される)を奉納した。 2016年の歩き遍路をしている時にも参拝しているが、番外用の御朱印帳が重く、持ち歩くのを止めていた事から改めて参拝。 山門 新しく綺麗な本堂 本堂 御朱印

新四国曼荼羅 42番 遍照院

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法佛山 遍照院 四国八十八箇所番外霊場 新四国曼荼羅霊場 42番 宗派:真言宗豊山派 本尊:聖観音 所在: 愛媛県今治市菊間町浜89 ←41番 光林寺 →43番 蓮生寺 平安時代初期の弘仁6年(815年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が、当地の峰に霊感を受けて聖観音を刻み寺院を建立した。これが当寺の起源と伝えられている。また、自らの像も刻んで厄除仏として安置したと言われる。 この寺の 鬼瓦 は1983年に今治市の指定有形文化財に指定され、現在は同市内のかわら館に収蔵されている。 2月3日の節分を大祭として、1月と2月に厄除け護摩祈祷を行っている。鐘楼門より草鞋を履いて参拝祈願し、参拝後に脱いだ草鞋のお焚き上げをして厄を払う風習がある。節分大祭には菊間町の特産品である菊間瓦を使用した鬼瓦御輿が登場し、42歳の厄年の男がかついで町内を練り歩く。また、御輿が境内に入ると、「福は内、鬼も内」という掛け声とともに61歳の厄年の男女が、本堂から豆まき・餅まきをする。 厄除けで有名な菊間の遍照院 自分も本厄の時、ココで厄払いして頂いた。  本堂 御朱印

新四国曼荼羅 46番、伊予十三仏 7番 香積寺(隻手大師)

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瑠璃山 香積寺 伊予十三佛霊場 7番 伊予十二薬師霊場 6番 新四国曼荼羅霊場 46番 宗派:高野山真言宗 本尊:薬師如来 所在:愛媛県東温市重信町田窪1504  ←45番 法寿院 →47番 理正院 香積寺は、通称 隻手薬師(かたでやくし)と呼ばれています。 大同四年に弘法大師様によって創建されました。 毎月十二日が月縁日ですが、十二日は薬師如来が柳の木の下から掘り出された日で、それを記念して毎月近在から沢山な人々が参拝されます。 隻手薬師と呼ばれる由来は、創建当時手の悪い人が仕事が出来ず、一方の手だけで薬師如来を拝んでいたら一方の手が治り、また再び仕事をすることが出来るようになった(片手で拝んでも御利益を頂ける)と云うところから、いつの間にか隻手薬師と呼ばれるようなりました。 薬師如来とは薬壷を持ち病気を治す仏様です。薬壷のなかには、体の病、心の病、社会の病をすべて治してしまう霊薬が入っています。 毎月十二日が月縁日ですが、十二日は薬師如来が柳の木の下から掘り出された日で、それを記念して毎月近在から沢山な人々が参拝されます。 山門 本堂 新四国曼荼羅の御朱印 伊予十三仏の御朱印

歩き遍路39日目【日帰り】JR海岸寺駅→別格18番 海岸寺→72番 曼荼羅寺→73番 出釈迦寺→74番 甲山寺→75番 善通寺→別格 17番 神野寺→JR塩入駅

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JR海岸寺駅[7:15] ↓ 別格18番 海岸寺[7:20] ↓ 72番 曼荼羅寺[8:45] ↓ 73番 出釈迦寺[9:10] ↓ 74番 甲山寺[10:00] ↓ 75番 善通寺[10:35] ↓ 別格 17番 神野寺[13:35] ↓ JR塩入駅[14:00]   歩き遍路39日目 YAMAP ←68番 元札所 琴弾八幡宮~68番 神恵院寺~71番 弥谷寺 →JR善通寺駅~76番 金倉寺~80番 国分寺~JR国分駅 移動時間 4:28:10 停止時間 2:15:23 距離 25.03 km 平均スピード 時速 5.60 km 最高スピード 時速 7.26 km 累計登り 250m 累計降り 105m 歩数 33,443歩 温度 22°C 湿度 94% 累計移動距離:1,157.68km 昨日と同様に、多度津駅の駐車場に車を入れて、多度津駅から、7時9分、海岸寺駅着の列車に乗り、海岸寺駅から、スタート 海岸寺駅っていうだけあって、海岸寺までは5分もかからない 四国別格二十霊場 18番 海岸寺 海岸寺では、朝早いので鐘はつかず、納経を済ませて、納経所に行くと誰も居ない 「不在の時は、梵鐘を鳴らして下さい」の貼り紙 ココで、鐘をつくと、「戻り鐘」になる 誰か参拝に来たら、鐘を突いてもらおうと思って、しばらく待ったけど、誰も来ない 自分で鐘をついて、もう一度、納経しようと思って、鐘をつこうとすると、橦木が鐘楼の梁に擦れて、橦木の勢いが落ちて、止まりかけて、「コン」って鳴る程度 3回、チャレンジしたけど、同じ結果になって、諦めたところに、納経所の方がやって来た 再び、納経して、御朱印を頂いた 後日、奥之院を参拝 海岸寺を出て、東に進み、橋の所まで行く 「四国遍路ひとり歩き同行二人(地図編)」は、ココから斜めに線が引かれてるけど、やっぱり、そんな道無いよね〜 て、思ったら、ガードレールに右折の道標シール 海岸寺から、72番 曼荼羅寺までは、この消えかけの遍路道の道標シールが役に立った 少し進んで、左折して川を渡る 橋を渡った後は、直進 そこからのすぐのカーブミラーに道標シール、右折 ココの電柱に道標シール、次の交差点を左折 仏母院の所を右折 後日、仏母院(新四国曼荼羅霊場 17番)を参拝 地図を見ると一本道に見えたから油断してたら、ココを右折 消えかけの道標シー