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40番 奥の院、四国別格二十霊場 6番札所 龍光院[りゅうこういん]

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臨海山 龍光院 福寿密寺 四国八十八霊場 40番 奥の院 四国別格二十霊場 6番 南予七福神 毘沙門天 本尊:十一面観音菩薩 御詠歌:みめぐみの 杖をたよりに 有為の山 越えてもくもらぬ 月を見るかな 41番龍光寺ではなく、40番観自在寺の奥の院。 ←5番 大善寺 →7番 出石寺 40番札所観自在寺の奥の院は初め、離れ島の九島にある願成寺(鯨大師)だったのを、巡拝の便利が良いようにと馬目木大師に移され、その後、龍光院に移された。 江戸時代初期の元和元年(1615年)伊達秀宗が宇和島藩主として入部した。この際、宇和島城の鬼門にあたるこの地に、宇和島藩の安寧と領民の安泰を祈願して栄瑜上人を開山和尚に迎え寺院が建立された。 【2016年 逆打ち 車遍路】 境内は、とても綺麗でした。 今日は、予定では龍光寺まででしたが、1ヶ寺多く廻ることができました 【2017年 8月26日 歩き遍路】 宇和島駅を出発して、10分程度で龍光院に到着。 石段は、108+3(過去・現在・未来)=111段 階段の途中に弘法大師像 左が本堂で右に大師堂 本堂の壁に木板でご真言・ご詠歌が書いてある なかなか、良い感じ 今回頂いたご朱印。

41番札所 龍光寺[りゅうこうじ]

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稲荷山 護国院 龍光寺 四国八十八霊場 41番 龍光寺   本尊:十一面観音菩薩 本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか ご詠歌:この神は 三国流布の 密教を 守り給はん 誓いとぞ聞く ←40番 観自在寺 →42番 仏木寺 地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているのが龍光寺で、往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場。その象徴ともいえるのが、山門は鳥居であること。 この山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎えてくれる。境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでおり、仏と神が同居している。 縁起によると、大同2年に弘法大師がこの地を訪ねた際に、稲束を背負ったひとりの白髪の老人があらわれ、「われこの地に住み、法教を守護し、諸民を利益せん」と告げて、忽然と姿を消した。大師は、この老翁が五穀大明神の化身であろうと悟り、その明神を勧請して稲荷明神像を彫造、堂宇を建てて安置した。このとき、本地仏とする十一面観世音菩薩と、脇侍として不動明王、毘沙門天も造像して一緒に安置し、「稲荷山龍光寺」と号して四国霊場の総鎮守の寺とされ、開創したと伝えられる。 創建のころから神仏習合の寺であった龍光寺は、稲荷寺として信仰され維持されてきたが、明治新政府の廃仏毀釈令により旧本堂は「稲荷社」となった。新たに本堂が建立されて、ここに稲荷の本地仏であった十一面観世音菩薩像が本尊として安置され、その隣に弘法大師勧請の稲荷明神像も一緒に祀られて鎮座している。 【2016年 逆打ち 車遍路】 仏木寺から三間ICの方向に少し戻り、龍光寺へ 神仏習合の寺として、三間の稲荷として親しまれたが、神仏分離で旧本堂は稲荷社なったので、現在の新しい本堂が建てられたようです。 ↓正面が本堂。右の階段を上ると鳥居があり、その奥に稲荷社(旧本堂) 大師堂 本堂と大師堂で納経して、納経所で御朱印を頂きました。 【2017年8月26日 歩き遍路】 参道から見た龍光寺 栄福寺と同じで、正面に元札所の三間稲荷神社 参道横に龍光寺。 本堂 大師堂 南予七福神霊場 3番でもあるらしい 正面に三間稲荷神社 歩き遍路の入口が分からず、ウロウロする。 納経所の向こうの駐車場に入口があった 納経所まえの駐車場への道 駐車場の中にあった歩き遍路道の入口。 今回頂いたご朱印

42番札所 仏木寺[ぶつもくじ]

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一𬍯山 毘盧舎那院 仏木寺 四国八十八霊場 42番 仏木寺   本尊:大日如来 本尊真言:おん あびらうんけん ばざらだどばん ご詠歌:草も木も 仏になれる 仏木寺 なを頼もしき 鬼畜人天 ←41番 龍光寺 →43番 明石寺 弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会った。誘われるまま牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって、光を放っているのを目にした。よく見ると、これは唐から帰朝するときに、有縁の地が選ばれるようにと、三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠であった。大師は、この地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を彫造、眉間に宝珠を埋めて白毫とした。これを本尊として安置し、「一山仏木寺」と名づけ、草字体で書写した『般若心経』と『華厳経』一巻を奉納されたと伝えられる。 その後、寺は牛馬安全の守り仏、大日さまとして信仰をあつめ、鎌倉時代には宇和島領主・西園寺家の祈祷、菩提寺となるなど隆盛を誇った。戦国時代には戦乱に災いされるなど、苦難の道を余儀なくされたが、再建に励んで面目を一新し、活気に満ちている。 【2016年 逆打ち 車遍路】 明石寺を後にして、西宇和ICから三間ICまで高速道路に乗って、仏木寺へ。 近距離でも無料区間なので、気にせず高速道路に乗る事が出来ます。 山門 本堂と大師堂 紅葉が、赤と黄色で綺麗でした 本堂と大師堂で納経して、納経所で御朱印を頂きました。 【2017年8月26日 歩き遍路】 今回も茅葺きの鐘楼を見るのを忘れた。 ここの仁王門、けっこう好き 門の後にある弘法大師像 前の納経所 ただ、前回も上の納経所でご朱印を頂いた気がする。 本堂 大師堂 今回頂いたご朱印

43番札所 明石寺[めいせきじ]

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源光山 円手院 明石寺 四国八十八霊場 43番 明石寺   本尊:千手観音菩薩 本尊真言:おん ばざらたらま きりく そわか ご詠歌:聞くならく 千手の誓ひ 不思議には 大盤石も 軽くあげ石 ←42番 仏木寺 →44番 大寶寺 寺伝によれば6世紀、欽明天皇の勅願により正澄上人が唐からの渡来仏である千手観世音菩薩を祀るため創建したという。天平6年(734年)に寿元行者が熊野より十二社権現を勧請し修験道の中心道場としたとされる。弘仁13年(822年)空海(弘法大師)が再興したという。 縁起の通りであれば飛鳥寺や四天王寺以前の創建ということになるのでこれは史実とは考えられず、実際の創建年は不明といわざるを得ない。建久5年(1194年)に、源頼朝が池禅尼の菩提を弔うため阿弥陀如来を安置、経塚を築き堂宇の修繕をした。この時に山号を現光山から源光山に改めたという。その後も武士からの信仰が篤く、室町時代は西園寺氏の祈願所、寛文12年(1672年)には宇和島藩主伊達宗利が堂宇を建立した。 【2016年 逆打ち 車遍路】 八幡浜で『ちゃんぽん』を食べた後、明石寺へ。 山門 本堂 天井絵 大師堂 本堂と大師堂で納経して、納経所で御朱印を頂きました。

四国別格二十霊場 7番札所 出石寺[しゅっせきじ]

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金山 出石寺 四国八十八ヶ所霊場 43番準堂 四国別格二十霊場 7番 四国三十三観音霊場 18番 南予七福神霊場 6番(寿老尊) 弘法大師雪中修行霊跡 本尊:千手千眼観音菩薩 御詠歌:くもりなき 二名の島の 金山に みのりの光 かがやくを見よ ←6番 龍光院 →8番 十夜ヶ橋 出石寺は出石山(いずしやま 812m)の山上に伽藍が広がる。山上からは宇和方面の山々や大洲盆地、久万高原方面が見渡せる。 本尊は50年に一度開帳の厳格な秘仏で次回の開帳は平成29年10月で、内陣床下に鎮座する自然湧出の銅仏と云われている。 通常の本尊が置かれる位置にある厨子内に鎮座するのは秘仏の前立仏であるが、毎年の縁日には開帳される。 【2016年 逆打ち 車遍路】 ココも、嫁は、子供の頃、何度も来てるらしい。 自分は初めて来た。 前後の札所とは、車で1時間程度、離れていて、かなりの山道。 駐車場の中には大きな弘法大師像。 山門 かなりの山道を登っただけあり、眺めが良かった。 本堂 大師堂 境内は広く、建物の造りは大きく立派。 御朱印 【2017年9月2日 歩き遍路にて】 標高812mなので、歩きで登ると、かなり疲れた。 駐車場まで着いたと思ったら、この階段。 階段の上に仁王門。 門には、鐘が吊られている。 門を潜ると、本堂・大師堂に続く階段と護摩堂。 階段を登ると手前に大師堂。 その一段上に本堂。 大師堂の向かいには、牛と鹿の銅像。 大師堂の脇には観音像。 本堂 大師堂