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歩き遍路 21日目【1泊2日 1日目】19番 立江寺→別格3番 慈眼寺→ふれあいの里 さかもと

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19番 立江寺[9:10] ↓ ヘンロ小屋 11号 「勝浦」 [11:30] ↓ ふれあいの里 さかもと[13:30] ↓ 別格3番 慈眼寺[15:00] ↓ ふれあいの里 さかもと[16:10]  歩き遍路 21日目 YAMAP ← 13番 大日寺~19番 立江寺 →  ふれあいの里 さかもと~20番 鶴林寺~22番 平等寺~JR阿波福井駅 おすすめの宿 ふれあいの里さかもと|公式サイト|勝浦町・坂本地区の農村体験型宿泊施設 – 徳島県勝浦町の農村体験型宿泊施設「ふれあいの里さかもと」 移動時間: 4:46:45 停止時間: 2:11:38 距離: 27.11 km 平均: 時速 5.67 km 最高スピード: 時速 8.31 km 高低差:673m 累計登り: 1058m 累計降り: 885m 累計移動距離:596.97km 今回、初めて遍路宿に泊まって、2日間で、立江寺から平等寺まで廻る予定。 これまで、日帰りで回ってきたけど、今後、徳島から南下して高知までは、自宅からの距離が延び、往復の高速代で、宿に泊まれるので、しばらくは、泊まりで回るになると思う。 ただ、そうなると、日程調整が簡単ではなくなるけど、それも、仕方ないかなと 前回、時間の都合で、恩山寺と立江寺は納経してないので、車で恩山寺に寄って、納経した後、立江寺に向かった。 立江寺で納経を済ませて、別格3番 慈眼寺を目指す。 立江寺の駐車場代は、1回300円。 戻ってくるのは、明日だけど、1日では無く、1回なので、多分、大丈夫だよね 立江寺を出発して、少し打ち戻る形で赤い白鷺橋を渡り、突き当たりを左折して、県道28号線を進む。 (恩山寺からは右から) 少し進むと、19番 奥の院 清水寺の入り口。 後日、参拝 御朱印は、立江寺で頂けるようだけど、今回はスルー。 櫛渕八幡神社の前を通りながら進む。 番外札所 法泉寺の近くに「寿康康寿庵」の看板。 矢印の方をのぞき込んでみたけど、よく分からなかったので、ここもスルー。 県道28号線と県道22号線の交差点を右折。 この辺りから足の裏に、マメができかけているような鈍痛を感じ始めた。 歩き始めて、あまり時間も経ってないのに、なぜ? 今まで、歩いてきて、マメができかけたことはあったけど、まともにできたことは無いくらいなのに 今回から、

歩き遍路 20日目 【日帰り】 13番 大日寺→19番 立江寺

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別格2番 童学寺[8:00] ↓ 13番 大日寺[9:10] ↓ 14番 常楽寺[10:00] ↓ 15番 国分寺[10:30] ↓ 16番 観音寺[11:10] ↓ 17番 井戸寺[12:00] ↓ 18番 恩山寺[16:30] ↓ 19番 立江寺[17:20] 歩き遍路20日目 YAMAP ← 12番 焼山寺~別格2番 童学寺 →19番 立江寺~別格3番 慈眼寺~ふれあいの里 さかもと おすすめの宿 名西旅館 花:徳島県徳島市一宮町丁414(TEL 088-644-0025) 鱗楼:徳島県徳島市国府町中268-1(TEL 088-642-4337) おんやど 松本屋:徳島県徳島市国府町井戸字北屋敷76-2(TEL 088-642-3772) 鮒の里:徳島県小松島市立江町江ノ上40-1(TEL 0885-37-1127) 活動時間:6時間55分 移動距離:40.65km 高低差:150m 累計上り:936m 累計下り:964m 歩数:54,877歩 累計移動距離:569.86km 8時15分、前回、打ち止めした別格2番 童学寺から再開。 計画では6時スタートで、19番 立江寺に17時30分着の計画だったのに、2時間以上遅れてのスタート。 どこまで、巻き返せるか 恩山寺の近くにはJRの駅は無いから、進み具合によっては、戻りの手段を考えなきゃいけない。 童学寺を出発して、すぐ、前回通らなかった遍路道(新童学寺トンネルから出た後の産廃置き場へ入っていく道)を反対側から通ってみる。 入ると、未舗装の道。ちゃんと、遍路道の札も掛かっていた。 ただ、すぐに舗装路に変わる。 予想していた場所に出た。 その後、新童学寺トンネルを抜けて、しばらくは打ち戻り。 トンネルから下った所に、グルッと回り込むように下る舗装路の方に、分岐。 真っ直ぐ進んで、県道を通るルートもあるけど、そこそこ交通量がある道なので、こちらを選択。 両方の道とも、車遍路の時に通っているので、雰囲気は分かってる。 分岐した後、道は、すぐ、車が離合できないほど細くなる。 通勤時間帯だったので、意外に車は通るが、さほど多くないので、快適に歩けた 途中に、お大師様? のどかな畑の広がる道を歩く。 ただ、歩き遍路の道標が少なく、あっても日に焼けて消えてるから、大きな分岐にくると、都度、地図を見なければならなかった