四国別格二十霊場 14番札所 椿堂[つばきどう]

邦治山 不動院 椿堂 常福寺

四国別格二十霊場 14番
四国三十六不動尊霊場 27番
伊予六地蔵霊場 6番

常福寺 本尊:不動明王(非核(火伏)不動尊)
御詠歌:災いを 三千歳百々歳(みちとせももとせ) 永劫(とこしえ)に 我は守らん 火(非)核の国

椿堂 本尊:地蔵菩薩(延命地蔵菩薩)
御詠歌:立ち寄りて 椿の寺に やすみつゝ 祈りをかけて 弥陀をたのめよ

←13番 仙龍寺

当寺院は四国中央市東部に位置し国道192号南側に隣接し、三角寺および仙龍寺から雲辺寺へ向かう歩き遍路道沿いにあるため、多くの遍路が立ち寄る。

伝承によれば平安時代初期の大同2年(807年)邦治居士(ほうちこじ)が地蔵菩薩を祀り当地に庵を構えたことに始まるという。更に伝承では、弘仁6年(815年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が当時この地で熱病が流行しているのを聞き、杖をもってその邪気を地中に封じ込めたという。空海が立てた杖から椿が芽を出しやがて大木となったという。その伝承より「椿堂」と呼ばれるようになった。また、大師の霊徳に深くうたれ喜び踊りまわり、それが毎年8月24日のお礼踊りと称し踊り続けられていたが大正初期より止まってしまったという。そのお礼踊り和讃を下記す。

常福寺は、当初少し下った新田神社の横にあったが、火災により石川部落に再建されるも江戸時代中期の宝暦11年(1761年)再び全焼した。このため、椿堂の場所に合併復興し「椿堂常福寺」とした。

幕末の安政6年(1859年)に寺院は火災に遭い椿も焼亡した。現在の椿は焼け跡から再び芽が出たもので、「大師お杖椿」と呼ばれ境内の向かって右側に生育している。

境内の建物は老朽化が進んだため、本堂は昭和59年(1984年)、大師堂は平成17年(2005年)に再建された。 旧大師像は小像ゆえ新しい大師堂に見合う大きさの大師像が欲しいとの発願で、京都の平安仏所の仏師・江里康慧に依頼し、衣の截金部分は江里の妻である江里佐代子(人間国宝)に依頼し造られた。本尊の地蔵菩薩立像の修復をした縁で製作を快諾したとのことである。旧大師像は新しい大師像に胎内仏として納められている。

【2016年 逆打ち 車遍路】

チビを連れて廻らないといけなかったため、数日、少し順序を換えてましたが、やっと、逆打ちの順路に戻ります。




境内には「おさわり大師」があって、右手で大師像を触りながら、左手で自分の痛いところを触りながら願うと治ると書いていたので、ここでも、右肩を触りながら、お願いしてみました。

納経して、納経所で御朱印を頂きました。



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