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86番 奥の院 地蔵寺

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如意山 文殊院 地蔵寺 四国八十八ヶ所霊場 86番 奥の院 本尊:文殊菩薩 宗派:真言宗善通寺派 所在地:香川県さぬき市志度545 ご詠歌:ももたびも もおでおがめよ じぞうでら 大悲のちかい ふかきしどうら 志度寺を建立した凡園子(おおしそのこ)尼により飛鳥時代に創建されたとされる。 また、寺院には下記の伝承も残っている。景行天皇の時代、日本武尊の子(または弟)讃留霊皇子(さるれおうじ)が天皇より土佐の海で船を襲い人を食して暴れる大魚の退治を命じられた。これを知った大魚は瀬戸内海に逃げ込み志度浦に隠れた。これを見つけた霊子の軍は攻撃を行ったが一同は大魚に飲み込まれた。霊子は一計を案じ、もろともに飲み込まれた軍船に火を着け大魚を退治した。後に、里人は大魚の祟りを恐れ、魚霊堂(うおみどう)と呼ばれる小堂を建立し地蔵菩薩を祀ったという。地蔵寺の名はこれに由来する。 戦火など幾たびも火災に遭い寺院は荒廃した。江戸時代中期の1729年(享保14年)密英が本堂を再建し、寺院が現在の形に整えられた。密英は「日本廻国六十六体尊」も設けた。中世に日本全国六十六カ国の神社仏閣を巡る日本一長い道のりの巡礼があった。これに因み密英が設置したものである。 85番 八栗寺から86番 志度寺に向かう遍路道の途中にある86番 奥の院 地蔵寺 歩き遍路の時は立ち寄る時間が無かったので、改めて訪問 駐車場は地蔵寺の東の大きな駐車場の一角が地蔵寺の駐車場になっていた 山門の正面に本堂 右側に大師堂 御朱印

讃岐国一宮、83番 元札所、新四国曼荼羅 11番 田村神社

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田村神社 讃岐国一宮 新四国曼荼羅霊場 11番 四国八十八ヶ所霊場 83番 元札所 主祭神:倭迹々百襲姫命 ←10番 自性院 →12番 菩提院 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) 五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)【別名 吉備津彦命(きびつひこのみこと)】 猿田彦大神 天隠山命(あめのかぐやまのみこと) 天五田根命(あめのいたねのみこと) を祭神とし、これを「田村大神」と総称する。 田村大神については、中世の書物では猿田彦大神や五十狭芹彦命のこととされ、近世には、神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命など様々で一定していない。社伝創建前は井戸の上に神が祀られていたことから、元々は当地の水神であったとする説もある。 社伝によれば、はじめは現在の奥殿の下にある定水井(さだみずのい)という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたが、和銅2年(709年)に行基によって社殿が創建されたという。 当初は義淵僧正によって大宝年間に開基された一宮寺と同一視(建物も同じ)されていたが、延宝7年(1679年)に高松藩主であった松平氏により分割された。後に一宮寺は別の地に移された。 延長5年(927年)に『延喜式神名帳』により名神大社に列格され、平安時代末から讃岐国一宮となった。明治4年(1871年)に国幣中社に列格した。 毎週日曜の午前中に朝市が開かれており、社脇の建物では讃岐うどんの店が開かれる。讃岐うどんは香川県の特産・観光資源として有名であるが「田村神社日曜朝市の讃岐うどん」は県内でも珍しい「神社で食べるうどん」として知られている。 さすが一宮だけあって境内は、かなり広い 表参道にある随神門 大鳥居の向こうに本社拝殿 本社拝殿 本社拝殿・奥殿は宝永7年(1710年)の造営で、春日造。奥殿は二重構造で前方は本殿に接続していて、神座があり、その床下に「定水井」と呼ばれる深淵がある。なお、現在、奥殿には垣根で近づくことができず鬱蒼と茂った木々でほとんど見ることはできない。拝殿は明治10年の再建で、入母屋造。 御朱印

新四国曼荼羅 14番 観音寺

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綾艮山 観音寺 新四国曼荼羅霊場 14番 宗派:真言宗御室派 本尊:十一面観音菩薩 ご詠歌:誓ひおば 千尋の海に たとふなり 露もたのまば 数に入りなむ 住所:香川県坂出市高屋町879 ←13番 鷲峰寺 →15番 顕正寺 観音寺は、崇徳上皇の菩提を祈るお寺で、本尊十一面観音は上皇生前の御念時仏 五色台山麓、坂出側からの登山口にある鳥居の向こうに高家神社(血の宮) 古代、高家首の一族がこの地に住み、その祖神・天道根神を勧請して氏神として祀ったことに始まり、依って「高家神社」と称していた。 長寛2年(1164)讃岐に流刑された崇徳天皇が薨去されたとき、棺を白峰に運ぶ途中、高屋村阿気の地に御棺を休め奉った時、俄に風雨雷鳴があり、御棺の臺石とした六角の石に血が少し滴り落ちていた。 葬祭の後、村人は畏んで天皇の神霊をこの社の相殿に奉斎し、その血の滴った臺石を高家神社社内に納めたのが、この社が「血の宮」と称される由縁。 随神門 「崇徳天皇 高家神社」の額が架かっている 階段の上が高家神社の拝殿 高家神社の境内の手前、左側に観音寺の山門 山門の向こうに見えるのが本堂 本堂 ちょっと珍しい三面大黒天が祀られており大黒堂の前衛の天井には見事な龍の絵が描かれている 御朱印

82番 奥の院、新四国曼荼羅 13番 鷲峰寺

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圓通山  鷲峰寺 四国八十八ヶ所霊場 82番 奥の院 新四国曼荼羅霊場 13番 宗派:天台宗 本尊:千手千眼観世音菩薩 御詠歌:鷲の山 谷の流れも 松風も 御法の声と 聞くぞうれしき 住所:高松市国分寺町柏原632-3 ←12番 菩提院 →14番 観音寺 寺伝によれば、奈良時代の天平勝宝6年(754年)唐僧・鑑真により建立されたという。鑑真は寺院がある山がインドの霊鷲山に似ていることから釈迦如来像を安置し鷲峰寺と名付けたと言われる。 平安時代前期の貞観2年(860年)円珍により智証大師十七檀林の一つとして清和天皇の勅願寺となった。 戦国時代の天正年間(1573年 - 1593年)長宗我部元親軍の侵攻により伽藍は火災に遭い焼亡した。その後、寺院は荒廃し仏堂が置かれるのみとなっていた。 江戸時代前期の寛文元年(1661年)高松藩主松平頼重が寺院の復興を命じ、三井寺の観慶阿闍梨を中興1世の住持として迎えた。延宝4年(1676年)に伽藍が再建された。 山門の前の駐車場に車を停めて、山門をくぐる 境内は、意外と広く、長い参道を進む 参道の先には階段があり、その上に本堂がある 本堂 護摩堂 大師堂 参道の脇には四天王収蔵庫がある 奥之院の御朱印 新四国曼荼羅霊場の御朱印

新四国曼荼羅 12番 菩提院

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五池山 菩提院 新四国曼荼羅霊場 12番 宗派:真言宗御室派 本尊:阿弥陀如来 ご詠歌:ごくらくの みだのちかひに さそわれて ぼだいのてらに くるぞうれしさ 住所:香川県綾歌郡綾川町北1033-1 ←11番 田村神社 → 13番 鷲峰寺 古来よりこの岡には、地域の祖先の霊が鎮まり、一体を治めた富豪の墓「延命古墳」が残されている。 又、今より1100年前、菅原道真公は讃岐の国司に任ぜられ、仁和三年に巡察の折り、三野郷が五穀豊穣・風雨順時でとこしなえに栄えんことを祈って、「一」の字を奉納された。そして、南北朝時代には(城)塁を構えていた。このように、古来より歴史的に存在価値のある大地である。 当院は天正年間、長宗我部元親の兵火にあい灰塵に帰した。その後、再興され天正十五年、国主生駒親正公は讃岐十五カ院(真言宗)を設定、延命院勝楽寺と号され、古刹の保護に努めたと記されている。 正月には七福神(毘沙門天)参りと共に「一字」一願成就ご利益参りも有名である。  境内の入口 大師像 本堂 大師堂 御朱印

79番 奥の院 不動の滝

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金華山 天皇寺 摩尼珠院(城山不動滝) 四国八十八ヶ所霊場 79番 奥の院 不動の滝 廃寺跡であり、天皇寺の南1.5kmにある城山(きやま)山頂近くの滝の脇に北向き不動明王石像が鎮座している。 その周辺には、不動明王石像が祀られた小さい岩窟があり、また、弘法大師像など数体の石像が祀られている。 滝は不動川となり、天皇寺の参道を横切って瀬戸内海にそそぐ。 『四国遍路ひとり歩き同行二人【地図編】』に場所は記載されているがルートの記載が無く、行き方が分からなかったので天皇寺の納経所で、奥の院の御朱印を頂いた時に、行き方を教えてもらった。 国道11号金山トンネルから、高松よりに「高松カントリクラブ城山コース」の看板がある場所を曲がる 未舗装道を50mのところに車を止めて登っていく 登山道は整備されていて歩きやすい 不動川沿いを登っていく この川は天皇寺の参道を横切って瀬戸内海に流れる 段々、勾配がキツくなってくる 途中、砂防ダムがあり、さらに30分ほど、自然石の石段をつづら折に不動川沿いに登り切った所に建物が見えてきた。 下から見えていたのは不動堂 更に少し登ると滝が見えてきた 滝の手前には大師像等の構造物が並んでいる 更に進むと見事な岩壁に滝が流れている 滝行もできそうな感じ。 滝の脇に石の不動明王坐像 滝から道は、更に延びて分岐がある 5分ほど進めば大師修行洞 左折して登っていくと城山温泉 不動の滝からの眺め 大師修行洞の方へ進むと、上の方に何か見えてきた 大師修行洞に到着 大師修行洞からの眺め 79番 天皇寺の納経所で頂いた御朱印