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新四国曼荼羅 44番 長楽寺

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栴檀山 長楽寺 新四国曼荼羅霊場 44番 宗派:真言宗智山派 本尊:阿弥陀如来 所在:愛媛県松山市西垣生町1250  ←43番 蓮生寺 →45番 法寿院 寺伝によれば天平宝宇四年 ( 760 ) の創立にして、上古は門末寺院十一ヶ寺の本寺であった。 当初は東寺宝菩提院の末につらなっていたが、中古天正年間兵乱のために焼亡し、更に正徳五年 ( 1715 ) 大洪水のために本寺末寺ともに流没す。 当時の住職元誉法印が本尊の阿弥陀三尊を捜し求めて中津の橋下で発見、寺を再興す。現在地に再建されたのは、十年後の亭保十年 ( 1725 ) である。 境内には伊予かすり創始者、鍵谷カナ女史と俳人村上霽月の墓所がある。 山門前には大日堂があり、堂内には大日如来が安置されている 大日堂 御朱印

新四国曼荼羅 49番 伊豫稲荷神社

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伊豫稲荷神社 新四国曼荼羅霊場 49番 主祭神:宇迦能御魂大神、爾々芸命、伊邪那美命、菊理比売命、大宮能売命 社格等:県社 所在:愛媛県伊予市稲荷1230 ←48番 称名寺 →50番 高昌寺 弘仁年間、伊豫国司が山城国伏見稲荷社より御分霊を勧請し祀ったと伝承される。 仁平3年、朝廷より山城国稲荷社の荘園として認可を得て、氏子地域は「山崎の荘(やまさきのしょう)」と称された。 河野通有は、弘安の役での軍攻に対して朝廷より賜った「山崎の庄(やまさきのしょう)」を守護神大三島宮(今の大山祗神社)に寄進。以来、河野一族の篤い崇敬があった。 江戸時代、大洲新谷両藩の祈願所として仰がれた。 神仏習合の時代、参道には谷上山宝珠寺より十二坊が建ち並んでいた。神社の祭典の斎主を一つ一つ僧侶が行い始め、最後に残る例大祭も同様になるに及び、神主星野右京太夫は宝珠坊へ談判に行き「唯一神道」を唱え僧侶を追い払った。当神社は明治時代の神仏分離より約220年早く、元来の「唯一神道」の形へ戻った。 享和2年、朝廷より「正一位」の御神威を賜る。明治4年に郷社になり、昭和八年に県社に昇格。昭和45年、楼門が県の指定文化財に指定された。 御朱印  

新四国曼荼羅 48番 称名寺

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臨江山 称名寺 新四国曼荼羅霊場 第48番札所 宗派:真言宗智山派 本尊:阿弥陀如来 所在:愛媛県伊予市上吾川1418 ←47番 理正院 →49番 伊予稲荷神社 嘉祥3年(850)に宗貞により開基された。元々は上吾川松本の鷹爪にあったと伝えられる。称名寺文書は伊予市有形文化財に指定されており、水琴窟や夏目漱石句碑(『木枯や 冠者の墓撲つ 松落葉』)がある。 称名寺の素晴らしさはそこからの眺望にある。北には高縄山や奥道後が、正面には興居島・中島・忽那諸島・二神島・由利島・屋代島とその奥に広島や山口の山々が見える。さらに左手に見えるのはは大分県の国東半島であろうか。河野氏の居館跡と伝えられる善応寺からの眺望も素晴らしいが、称名寺からの眺望はそれを上回る 山門 御朱印

iPhone XRのSIMロック解除が出来ない?

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今まで中国に出張する時は、SIMロック解除したiPhone 7Plusに、中国移動香港[CMHK]を差して使っていました ただ、SIMを差し替えている時に、SIMスロットのゴムパッキンがはみ出すようになってきて、イライラ 3香港[3HK]が、iPhoneのeSIMに対応したサービスをスタートしたようなので、iPhoneの機種変更を決断 DSDS(デュアルSIM、デュアルスタンバイ)に対応した端末で選んだのは、 iPhone XR 機種変更前のドコモのiPhone 7 Plusが、SIMロック解除済みだったので、機種変更後も、すぐに「ドコモオンライン手続き」でSIMロック解除を申し込みました 翌日、手続き完了のメールが届いたので、前回、中国出張時に使用した中国移動香港SIMに入れ替えて、アクティベートを完了 ただ、中国移動香港SIMでは、電波をつかまないので、会社のauのSIMに入れ替えて、SIMロック解除できているのか確認してみたけど、電波を掴まない(;゚ロ゚) ↑想定外 試しに、機種変更前のiPhone 7 Plusに、同じauのSIMを入れてみると、電波を掴む(当然といえば当然) その後、ドコモのサポートセンターに電話してみたり、PCに接続してのロック解除の手順を試みたり、2日間もかかってしまいましたが 結局、会社のau iPhoneのSIMが、iPhone XRに未対応だっただけでした 知人がソフトバンクのiPhone XRを使っていたので、SIMを借りて、自分のiPhone XRに入れてみると、難なく、ソフトバンクの電波を掴みました

新四国曼荼羅 47番、伊予十三仏 12番 理正院

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東向山 理正院 新四国曼荼羅霊場 47番 伊予十三佛 12番 宗派:真言宗智山派 本尊:大日如来 所在:愛媛県伊予郡砥部町麻生393   ←46番 香積寺 →48番 称名寺 当寺は大同年間(806年)今から約1190年前の国司と相図り堂守を建立本尊に大日如来座像を安置し東向山理正院有喜寺と称した。降って文治三年(1187年)約810年前に河野家一族に依って境内に金毘羅大権現の堂宇を創建し祈願所とした。以後代々の国主武将の尊祟を集め寛永年間に加藤左馬透嘉明公が山門堂守を再建し,山林田畑を寄進した。後大洲領となり後も領主の祈願所として保護を受け隆盛を誇った。今の山門や本殿は寛永年間のもので370年の風雪に耐えて昔の面影を留めている。更に一般の信仰も厚く多数の参詣者があり盛大であった 仁王門 本堂 大師堂 隣には金比羅大権現を祭る神社 新曼荼羅の御朱印 伊予十三仏の御朱印

伊予十三佛 1番 大蓮寺

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青岸山 大蓮寺 伊予十三佛 1番 宗派:真言宗豊山派 本尊:十一面観音 所在: 愛媛県松山市東方町902-1 伊予十三仏霊場第一番札所として不動明王をおまつりしており 身代り不動として親しまれている 境外仏堂として、四国八十八箇所番外札所の小村大師堂(通称・札始大師堂)がある。

伊予十三仏 結願の寺 金毘羅寺

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松尾山 金毘羅寺 伊予十三仏 結願 宗派:真言宗豊山派 本尊:金毘羅大権現(教令輪身金毘羅尊) 所在:東温市河之内 惣河内神社と隣接 長寛年中の創立で称明寺と称されていたが、慶長年間、加藤嘉明公によって「金毘羅寺」と改められた 惣河内神社は、桓武天皇の延暦22年(803年)久米郡余部郷が野々口郷と河之内郷に分かれた時、河之内の総鎮守として創立されたといいます。 また、慶長6年(1601年)に境内に今なお存在する榊に降臨した金比羅大権現を奉祭する「金比羅神社」と当地区日浦部落の「天満宮」の2社を境内社としている 川内の奥にある金毘羅寺 境内は、かなり広い 仁王門 本堂