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新四国曼荼羅 33番 清楽寺

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仏生山 清楽寺 新四国曼荼羅霊場 33番 四国88ヶ所 60番 前札所 宗派:高野山真言宗 本尊:阿弥陀如来 所在:愛媛県西条市小松町新屋敷甲1876 ←32番 極楽寺 →34番 妙雲寺 聖武天皇の勅願、行基菩薩の開基、越智玉澄の開創とされる。 寺伝によれば、行基菩薩が当地を巡行した時、西方から光明が輝き、阿弥陀如来が表れて土中に入った。これを見た行基菩薩は、自ら阿弥陀如来の尊像を刻み、一宇を建立して安置した。これが当寺の開創であるという。法寂律師が住持の時、弘法大師が留錫し、真言の秘法を授けたと伝わる。 『小松邑誌』には、元は北川村にあり、密厳寺と号したという。兵火にかかることたびたびであったが、その都度、伊予の国主・河野氏の外護により再建された。天正の兵乱の後、元和元年(1620)快音上人が密厳寺・仏生寺を併せて現在地に再興し、清楽寺と号するようになった。江戸時代には小松藩主・一柳氏の帰依を受けた。 明治初めの神仏分離により、横峰寺が廃寺になった際、弘法大師ゆかりの寺であることをもって60番札所とされた。その後、明治12年(1879)に横峰寺が大峰寺として再興されたため、明治18年(1885)協議の上で札所を大峰寺に戻し、清楽寺は前札所と定められた。 ここで、なぜ決着までに時間がかかったか、というより、なぜ18年に決着したかということについてヒントになると思われるのが、同17年(1884)本来の前札所である 妙雲寺 が火災に遭い、廃寺となっていることである。妙雲寺を再建せずに前札所を清楽寺に移すことで決着が計られたのではないかと推測される(後に妙雲寺は再興され、60番前札旧跡を称している)。 本尊脇侍の観世音菩薩は「ひとこと観音」と称される。小松藩第三代藩主・一柳頼邦の母が内臓疾患を患ったとき、当時の住職がひとこと観音に祈願したところ、あらたかな効験があった。以来、内臓疾患、特にガン封じの霊験で今も広く信仰を集めているという。元は仏生寺の秘仏であったともいう。 また、一柳頼邦は、母の病気平癒祈願成就の奉賽として、古銭を集めて鋳造した観音像(元銭観音と称される)を奉納した。 2016年の歩き遍路をしている時にも参拝しているが、番外用の御朱印帳が重く、持ち歩くのを止めていた事から改めて参拝。 山門 新しく綺麗な本堂 本堂 御朱印

61番 奥の院 白瀧

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白瀧 四国八十八霊場 61番 奥之院 本尊:不動明王 所在:愛媛県西条市小松町南川甲19 香園寺奥の院は、昭和8(1933)、滝行の場として、時の香園寺住職により創設されたとのこと。 歩き遍路で、60番 横峰寺から61番 香園寺に向かえば、ココを通る事になる 自分が歩き遍路をした時も、ココの存在は知っていたが、石鎚登頂にチャレンジしたため通る事が無かったので、改めて参拝。 本堂の左からさらに進めば、滝行の場所がある。 ココの納経所は15時までで、それ以降は香園寺で御朱印を頂くようです。 納経所の方に聞くと、ココの奥にある駐車場から横峰寺に登る方も多いとか いつか自分も登ってみようかな~ 奥之院の御朱印

新四国曼荼羅 34番 妙雲寺

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石鈇山 極樂院 妙雲寺 新四国曼荼羅霊場 34番 宗旨:古義真言宗 宗派:高野山真言宗 本尊:大日如来 所在地:愛媛県西条市小松町妙口甲716 ←33番 清楽寺 →35番 実報寺 妙雲寺は、天平5年(733年)に石仙菩薩により開基された。その後、空海が巡錫し如来応現の霊地として横峰寺の前札所と定めた。天文7年(1538年)に剣山城主黒川氏が蔵王権現を奉納した。隣接する石土神社は、神仏分離までは蔵王権現堂かつ妙雲寺の鎮守社であり、一体的に運営されていた。 江戸時代には小松藩主一柳氏の祈祷寺であり、第3代藩主の一柳直卿が「蔵王宮」の扁額を奉納している。 明治17年(1884年)、火災に遭い廃寺になったが、明治28年(1895年)に近隣の鶴来山大儀寺を移転して復興し、「前札旧跡大儀寺」とした。昭和32年(1957年)に石鈇山妙雲寺に復称している。昭和51年(1976年)には香園寺の本堂を移築した。 なお、妙雲寺は横峰寺の前札所で、横峰寺巡拝および石鎚山登拝への登山拠点かつ行者の前行懺悔礼拝所であり、かつては妙雲寺の参道を通って石鎚山に向かっていたが、昭和期に河口まで県道が通りバスが運行するようになってからは、ほとんどがそちらへ移ってしまった。 歩き遍路の時に前は通ったが、時間が早く参拝してなかったので再訪。 御朱印

新四国曼荼羅 35番 実報寺

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聖帝山 実報寺 新四国曼荼羅霊場 35番 宗派:真言宗御室派 本尊:地蔵菩薩 所在地:愛媛県西条市実報寺甲758 ←34番 妙音寺 →36番 栴檀寺 真実報いのある寺というので、実報寺といい、聖なる帝(信仰深い天王)の勅願による寺というので山号を聖帝山というこの寺は道後温泉に湯治に来られていた、舒明天皇の勅願により、紀元640年建立されました。戦乱の巻き添えをくって焼かれた後、現在の地に移転されましたが、当時の伽藍がいかに大きなものであったかは,現在も村のあちこちに残る地名(桜坊、仁王堂、古堂等)を見ればわかります。さらにその大きさに皆様が驚かれるのは、全長3メートルの御本尊地蔵菩薩です。 春になると境内は桜の花でおおわれます。中でも樹齢三百年あるだろうといわれる白い桜は、ひとあし早く花をつけ、若木にはない風情をかもし出します。1795年、俳人小林一茶は、伊予来訪の折、当寺を訪れ 「遠山と見しは是なり花一木」と詠み、東西十間、南北十二間の枝の広がりのある山のような桜の大木に感嘆しました。  御朱印

新四国曼荼羅 38番 満願寺

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金毘羅山 満願寺 新四国曼荼羅霊場 38番 四国三十六不動尊霊場 21番 弘法大師巡錫伊予二十一ヶ所霊場 4番 宗派:高野山真言宗 本尊:薬師如来 所在:愛媛県今治市金治230朝倉下甲145 ←37番 法華寺 →39番 竹林寺 道慈律師は奈良の人で大宝元年(701年)遣唐使として中国に渡り三論の法を学び養老元年(717年)帰国後、奈良・大安寺に住し三論宗を弘めた。 天平6年(734年)南海道を巡錫中、当山・霊仙山にて本尊薬師如来の開眼法要の導師を勤めた。 これによって当山は三論宗にて開創される。 その後、天長6年(829年)空海が天安寺別当に補された影響で、真言密教が宗義になったと伝えられている。 戦国時代には戦乱にて全山灰燼に帰するも、慶長時代に再建が進められ戦禍や疫病などから護るため金比羅大権現を厄除け守護神として勧請し神仏混交の寺として復興したものの、明治期の廃仏稀釈で一時期、廃寺になるも信徒の根強い信仰に支えられ現在に至る。 県指定の有形文化財「斎藤実盛公供養塔」や弘法大師御衣、十二天屏風、大涅槃図など寺宝がある 頓田川に掛かるらしき橋を渡ると鳥居があり、少し進む山門が見えてくる おそらく川を渡ったところから敷地なんだろう 金毘羅の名前が付く霊場は、広いところが多い気がする 山門 参道の左に本堂、右に不動明王 正面の階段の上には、金毘羅権現 本堂 不動明王 階段の途中に鐘楼 階段を登りきると、金毘羅さん 御朱印

新四国曼荼羅 37番 法華寺

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補陀落山 法華寺 新四国曼荼羅霊場 37番 伊予府中十三仏霊場 10番(阿弥陀如来石像) 宗派:真言律宗 本尊:十一面観世音菩薩 所在地:愛媛県今治市桜井甲243 ←36番 栴檀寺 →38番 満願寺 奈良時代の天平13年(741年)、聖武天皇と光明皇后の勅願によって建立された伊予国の国分尼寺(法華滅罪寺)であり、開基は南部の証繭大厄公、 本尊は(伝)行基作の十一面観世音菩薩で、光明皇后の姿を写したと伝えられている。 創立時は、華厳宗東大寺に属していたが、平安時代の弘仁6年(815年)に空海が来訪した際に真言の教えを説かれ、この時より真言宗に改めたと伝えられている。 さらに鎌倉時代の建治元年(1275年)、後宇多天皇の勅命により、西日本の国分寺、国分尼寺と共に真言宗西大寺の末寺となり、現在に至っている。 境内の下に見える今治市立桜井小学校から南へJR予讃線沿いに伊予桜井駅近くまで達する広大な寺域であったが、三度の戦乱(治承・寿永の乱、南北朝の戦い、豊臣秀吉の四国攻め)によりことごとく焼失し、そのため江戸時代の寛永2年(1625年)に今の高台に移った。 全国の国分尼寺はほとんどが跡だけになっているが、当山は寺院として存立し法灯をつないでいる。 桜井小学校・中学校の横にある駐車場に駐車して、踏切を渡り境内へ 階段を登ると山門がある 本堂は比較的新しい感じ 大師堂 御朱印

新四国曼荼羅 39番 竹林寺

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五臺山 竹林寺 新四国曼荼羅霊場 39番 宗派:高野山真言宗 本尊:文珠菩薩 所在:愛媛県今治市古谷甲1249 ←38番 満願寺 →40番 別宮 大山祇神社 この寺は天武天皇の御宇、越智大領小千守興が願主となり、僧観量によって開基された。 はじめ毘盧遮那仏を本尊とし、真如坊と言ったが、聖武天皇の御宇、天平七年 ( 755 ) 行基菩薩巡化の砌、中国は五台山に模して自ら文殊菩薩を彫刻安置し、以来竹林寺と称す。 その後、弘法大師巡錫の途、住僧観光上人が文殊菩薩五百万遍の秘法を授かり、日本三文殊霊場の一つとして今も受験生らの参詣が多く「智恵の文殊さん」として有名な名刹である。 境内に10月頃から咲く珍しい四季桜 ( チクリンジザクラ ) がある。 四国88箇所 58番 仙遊寺と59番 国分寺の間にある竹林寺 歩き遍路道から少し外れているので、歩き遍路の時は参拝していなかった 駐車場に駐車して山門に向かう 境内に入るが本堂が見当たらない 端の方に階段が見える ここから登った所に本堂があった 本堂 本堂からの眺め 御朱印